tiny notes in a little time
photo/tamasudare
12/29.sun.
俳画を描く時は、句を見てイメージが出てきたら忘れないうちにすぐに始めることにしている。
四童さんが「今年の70句」をアップしたので早速拝見させていただいたところ、
イメージがすぐやって来た句があったので俳画を描かせていただきました。
仙人の俳句が不思議な感じがしたので、すぐこれに決めたのでした。
仙人と霞を食ひて春惜しむ 四童
それから、今月のスクエア集にあった、こだんちゃんの俳画も描いた。
子供の言葉はかわいすぎるよ。
おつきさま二本のあしでたっている 小林こだん
12/27.fri.
“天気さん”が新しく浮御堂というHPを立ち上げた事を聞いてさっそく見に行ったら
天気さんの句の中に
星の道パラパラマンガのように歩け 天気
というとってもカワイイ句があって、久々に「gifbuilder」を使ってアニメ俳画を作ってみた。
思った通りに「パラパラマンガ」っぽい俳画ができた。
それがきっかけで、天気さんから
連画Project「2002-2003
年越しネットワークカンブリアンセッション」
のご案内を頂き、このセッションに参加させていただけることになった。
素敵な場所に出会えて天気さんには深謝しています。天気さんありがとう。
この連画サイトは以前から『いい企画だなあ。参加したいなあ。』と思っていたので
今回このような形で参加させて頂けてとても光栄に思っているのです。
只今、連画は進行中。連句のように、誰かか描いたCGから見えるイメージを、
またCGにして繋げていくプロジェクトである。
このようなwebでの画像コラボレーションという形のセッションは、
私が俳画のコラボレーションを始めた時から大変興味があった分野であり
「著作権の共有、シェアー」については今までいろいろ考えてきた。
今回この企画に参加できて、改めてコラボレーションにおける著作権について
より深く考える機会を得た事がうれしい。
この企画は「次の展開を作るのに人の画像に描き加えてもいい」というルールであり、
webにおける画像のやり取りの中では大変風通し良く、自由で珍しい場であると思う。
最終的に「集まった凄い数で作製されたイメージ伝達のプロセスと、
個々の作品全部をまとめて一つの作品とみなす」という作品の在り方も自由で好きだ。
ただ、問題が起きない為に「postする画像はあくまでも本人の作品である事」が基本である。
このセッションは
「2002年12月26日より2003年1月7日頃まで」行われる予定である。
多人数でのシェア・アートについては10年程前からやってみたかったのだが、
なかなか相手を探せなかった。みんなが絵を出し合える『大きな場』を作ってくださっている
安斎利洋さんと
中村理恵子さんに深謝しております。ありがとうございます。
12/26.thu.
確かクリスマスは昨日だったはずだ。
たった一日でクリスマスはこんなに古くなってしまう。
お正月は2週間ぐらいは賞味期限があると思う。
12月初めに『まだクリスマスの飾りは早いなあ。』と思う。
12月半ばに『クリスマスはまだ先だよ。』と思う。
『12/20頃にまだクリスマスまでは5日間もあるよ。』と思う。
イヴの夜は『まだイヴで今日はクリスマスじゃないな。』と思って
25日になって、やっとクリスマスの気分になるのだ。
でも私はクリスチャンではないので『私のは本物のクリスマスじゃないな。』と思う。
でもちょっとはクリスマスがしたくなる。それでHPの絵を描いてみたんだ。
なのにたった一日でクリスマスはどこか遠い所に行ってしまったみたいだ。
今晩あたりから、都会のデパートではショウ・ウィンドウのディスプレイが一斉に変えられていく。
小人の靴屋さんのように、ディスプレーヤーは真夜中働くのだ。私はあの仕事を一度やってみたい。
終電が行ってしまってからの都心は、やっとゆっくりした柔らかい空気になる。
始発までは巨大な時計が眠るからだ。
12/25.wed.
朝、自分のHPにアクセスして赤いので驚く。
そうだった、夕べ『クリスマスだから真っ黒い表紙もなあ』と思って
topページを変えたのを忘れていた。
風邪気味でぼんやりした調子のままtopを模様替えしたので記憶が朧になっていた。
ああ、風邪引きだ。この間も風邪を引いたけど、今度のはまた別の種類の風邪のようだ。
12/19.thu.
Talking about ☆BOOTSY
☆
1976年のヒューストンで行われた★☆ブーツィー・コリンズ☆★の
ライヴをヴィデオで見たことがある。P-Funkには、さほど興味は無かったのだが
ベーシストの友人に無理やりこのヴィデオを見せられたところ、それは本当にすごい演奏だった。
ブーツィーはハイテンションで延々、頭を振って演奏していたが、
うねるような力強いベースの音もさながら、
見ていて『頭いたくなったり三半規管が壊れちゃわないだろうか。』と
心配になるような首の振り方だった。
ブーツィーは歌わないのだが「曲で何か喋る」という独特なスタイルが面白い。
大変いい声なのだが、ちょっと変わったノリでブーツィーならではのへんな味があるのだ。
服装は、派手派手でマンガのキャラクターのようなのだ。
なんであんな趣味になっちゃうのかさっぱりわかんないけど、
それを問い質すのは野暮というものなのだろう。
とにかく見ていて楽しい。レコードジャケットにも彼をマンガ化したお話が描かれていた。
でも姿のわりには大変真面目な人だそうだ。
何しろJB's
(ジェームス・ブラウンのバンド。練習がほぼ毎日で、厳しく、続けられる人はえらいと言われている)
の元メンバーだったし、インタヴューでは「僕は青少年育成に貢献したい。」と静かに語る
穏やかで感じのいい人だっだ。スタンリー・クラークと友達だという話も聞いた。
そうそう、彼は最近のナイキのCMでバスケット・ボールの試合の古い映像に
ちらりとその姿や声を現していてかっこいいのだ。
ブーツィーが大阪に来た時に一度見に行った。
ラメのジャンプ・スーツに★星型サングラス★で相変わらず派手だった。
年のせいか、演奏は静かめだったが、彼の存在自体がもう殆ど人間国宝というか、
P-FUNKの伝統芸能の王の域に達していたので見ることができただけで良かった。
バッキングには、JB's の「メイシオ・パーカー」もいた。
コンサート後、玄関から一人で出てきたメイシオに、N.Y.帰りのFUNK好きな友人が
「Hey,Maceo! Have a Funky
Night!」と呼びかけていたが、
メイシオは足早に一人で夜のミナミに消えた。
光りモノでいっぱいの年末の街には★☆ブーツィー・コリンズ☆★が良く似合う。
12/18.wed.
今日、タブラが上手な人の練習を見に行った。
彼はインドで何年も(何年だっけ?かなり長い年数、多分4,5年だったと思う)
師匠さんについて習った人で、とても上手なのだ。
手のいろいろな部分を使って音を出すのだけれど、特に左手の手の平の下の部分を
タブラの面に辷らせて出す低音がとっても不思議な音でいい。
インドのビートは西洋音楽の譜割りではくくれないリズムである。
八重山の民謡にもそんな曲がある。
定型はあるのだが演奏者の肺活量にお任せスタイルで伸ばすところは自由だったりする。
そんな曲は譜面で捉えないで「それはそういうもの」という把握の仕方をしてセッションするしかない。
アシッド・ジャズ風のファンクっぽいビートとインドの5拍子を合わせる。
どんどんずれていくのだが、何小節目かで必ず合う時があるので、
そこでうまくアクセントを入れると気持ちがいいのだ。
そう言えば、山下洋輔・作/長新太・絵の福音館書店の絵本で『ドオン!』という話があった。
みんながどんどんあらわれて、ケンカしてそれぞれに太鼓を叩いて暴れるのだが、
ある瞬間にみんなの音が「ドオン!」と合って、
その気持ち良さにケンカしていたみんなは大笑いして
「あー、おもしろかったぁ。」と口々に言いながら帰っていくという単純なお話だった。
この本を検索してたらこんなページを見つけた。
実は私は、片山健さんも、詩人である奥さんの片山令子さんも好きなのだ。
「コッコさんのお店」は絵もお話もとてもかわいい。
「もりのてがみ」というお話は令子さんが文章でとっても良かった。
子供のころ私もあんな風にして一人でよく遊んだ。
それにその頃私はすごく横長な丸顔で、鼻が低くて、なぜかワカメちゃんのように
短すぎるおかっぱにさせられていたのだ。6才と8才年上の姉2人は、いつもなにげに
かっこいい感じの髪形なのに、三女で家の中で一番チビの私だけが、
ナゼか典型的な昔の日本の子供用の髪形をさせられており、散髪屋さんから帰って
自分の襟足を見るたびに「ああ、美しさからはほど遠い・・・。」と
うなだれていた幼稚園の頃を思い出す。
でもそのへんは、さすがに子供で、髪形にはすぐに慣れて自分のアピアランスの事なんか
忘れて遊びに夢中になった。今写真を見るとかなり笑える。
今は、トラディショナルなあの髪形をしていた事を良かったと思う。
あれ、タブラの話から髪形の話になってしまった。
12/16.mon.
いつも連句や音楽の話でお世話になっている四童珈琲店で話に出た「矢野顕子さん」が歌っている「かぜのひきかた」という曲について話しているうちに、この詩の作者が気になって調べてみた。この詩は大変有名な詩である事がわかったが、作者である詩人、辻征夫さんは残念な事に2000年一月に他界してしまっていた。追って調べるうちに句集も出している事がわかった。俳人ではない人が集まり、各人の本業の余白にちょっと書き留めるまでの句会という事で『余白句会』と名付けられたそうだ。検索するうちに彼のかわいい句を見つけた。彼は「貨物船」というかわいい俳号だった。
12/12.thu.
左目の具合がよくないので、今日はpcは控える。そのかわり久々に譜面を見てピアノを弾く気になった。随分まえに練習したサティーの子供用の「音楽童話の献立表・第三曲/アーモンド入りチョコレートのワルツ」を練習する。サティーの楽譜にはお話や言葉が書いてある。
そんな言葉が書いてあっておもしろいのだ。本当は半分忘れたジムノ・ペディをもう一度おさらいしたかったのだが楽譜が見つからないのでこの曲にした。とっても簡単だけど左手の流れが予想と少しちがうので暗譜の必要がある。私は暗譜が好きだ。暗譜したら次は好きなように弾く番が来るからだ。でも譜を読むのはとっても遅いのだ。バル・トークのミクロコスモスはやっとのことで2冊目まで行った。三冊目で挫折。でもあの本の練習曲はとてもおもしろい。一体何処から来てどこに行く音楽なのかわからないような意地悪な練習曲ばっかりだったっけ。
12/11.wed.
寒い。この一週間、「真夏→初冬」の温度の激変でまた風邪を引く。
12/9.mon.
音楽を深く考え、テクニックを追求するうち、知らない間に音楽を思う心まで筋肉になってしまう事がある。
ピアニストの指先は鍛えられ早引きするのに充分な筋肉がつく。
パーカッショニストは細かくbeatを追う事ができるしなやかで強い手首を得る。
だけど心を解き放って音楽を迎える事を忘れてしまっている時間が隣に座っていたりする。
難しい演奏をこなせるという自信を持ちながら一人でいる事を淋しく思う夜を繰り返す。
原因不明の不安が「楽器」に、「咽」に、ひっついて全てを固くさせる。
何かに取り憑いている自分の一部が一体何であるかに気づかないまま漠然と何日も過ぎる。
時には何年も。
出てくる答えはいつも部分でしかなく、パズルの完成が遅れる。
音楽は誰の中にもあるのだが、音楽をあんまり近くで見続けると
簡単な所が解らなくなってしまうんだ。
でもある日気がつく。
そして心が笑って、身体が笑って生まれる音楽の事を思い出す。
そんなプロセスをくりかえしながら、突然、難しい演奏を簡単に、
小さな美しい音で奏でられるようになる朝が来る。
音楽を生みだしている事すら気づかずに音楽と居る朝。
静かな呼吸をするように。
歩く速さの鼓動のように。
そんな光る音楽を生み出せた大切な日に、それを聴いてくれているのは、
雑草だったり、犬だったり、通りすがりに目があった木の葉であったり、
車のハンドルであったりするのだ。
いつもそんなもんなんだ。
だいたいにおいて。
そしてそれはとても幸せな一人の時間なのだ。
そんな時には“welcome to my spirit.”と呟くだけでいい。
それからその時間のことを忘れないようによく覚えておくのだ。
季節が変わってもまたそこに戻ってこれる道を覚えておくために。
12/8.sun.
今日は寒い。お昼にフライパンの柄が焼けているのに気づかず持ち上げてしまって、
右人さし指の内側の根元を思いっきり火傷したが範囲が狭かったので大事には至らなかった。
去年初夏、夜中の2時頃、右ふとももに熱々のカップ・ラーメンをざあっとこぼしてしまって、
すぐに自分で車で病院に行ったことがあるが、運良く2時間半程氷水で延々冷やしただけで
きれいに完治した。
外科の先生に「こんな時間にカップラーメンですか?」と質問された。
その日は夕食抜きだったのだが、夜中にこんな理由で救急に行くなんて申し訳ないし
恥ずかしすぎるので私の返事も弱々しい。重ねて「夜食ですか?」と質問を受け、
すまない気分でいっぱいになる。
先生は眠っていたようだったが、冷やしている間中ずっと起きて見ていて下さった。
とても丁寧で親切な方だったので良かった。その時に先生に聞いた話によれば
『火傷というものは、火傷をした後も、どんどん皮膚の下では炎症が奥に向けて
進もうとしているそうなのだ。その進行を止める為に冷やす』のだそうだ。
そうだったのか。火傷した表面だけの問題だと思っていたが、
ダメージは火傷している状態が終わった後も刻々と伝達されるらしい。
午後、来島中の知り合いとジャングルに行く。
今日は小さな嵐のような悪天候だったが、山のスケッチを何枚か描きたいとのご要望にお答えして、
いい木や植物のある場所へ出掛けたのだ。
出会った生き物は少なく、シロハラクイナ、黄色の蝶、オオゴマダラ、セキレイ、
犬、カラス、猫くらいだった。寒くて雨だと、生き物もみんな家の中に居るんだなあと思う。
いつも見に行く水場にある大きな木の横に生えている野生の「ヘご」が成長していて
立派になっていてうれしい。夏には見ないような繊細な植物が花をつけていてきれいだった。
あと、玳瑁(タイマイ)が12、3匹保護されている漁港付近の水槽を外から眺める。
海亀はとっても可愛い。
12/7.sat.
今日も夏日。
12/6.fri.
「winamp」という音楽を解析して画像化するソフトで、リアルタイムの音楽のムーヴィーを見る。
広い空間をイメージさせる現代音楽を使って試したところ素晴らしかった。
音楽のデータを画像化するとあんなふうになっているんだ。
山の断面図の形に波長をいれて作った音は聴いたことがあるが、
winampは音楽データの映像なのだ。
素晴らしいなあ。
ところで、かんかん照り4日目に突入。夜間少し雨が振って10時頃から晴れ始める。
暑い。これは石垣の5月頃の感じ(=内地の梅雨明け頃)だ。
夜になっても暑くて頭がぼおおおおおっとするのでアイスを食べたらすこししゃきっとできた。
12月だというのに今年は一体何なんだろう。
12/5.thu.
今日も夏日。物陰で眠っていた蚊達が喜んで活動を始めたので蚊だらけなのだ。
この間、最後の15分間だけN響アワーを見た。
9時からはNHKの“World AIDS Day”の特集を見ていたのだ。
特集が終わってチャンネルを変えたら「ゲルギエフ」というロシア人の指揮者が
「いけにえの踊り」という曲を指揮していた。その様子がとても変わっていたので
そのまま見入ってしまった。
彼の指揮は、まるで音楽を「act or perform」しているようだったが
そのどちらにも当て嵌まらないもっと違う何かだった。
「生贄」にはいろいろな形があるが言葉だけでも残酷な響きがある。
民族によって、またその状況によって残酷さは多様であろう。
私が「いけにえの踊り」という曲にシンクロしてゆくにつれて
彼の中に見える残酷さや恐怖感が増していき、
彼から見える様々なイメ−ジが恐ろしいくらいであった。
指揮を見ているうちに、彼が曲なのか曲が彼なのかわからなくなるような錯覚に陥る。
彼と演奏者と演奏と会場にいる聴衆とTVのこちら側にいるオーディエンスも含めて、
何か一つのイメージやメッセージを作りあげるような雰囲気。
彼の指揮はまるで、いつか見たファンタジー映画に出てきた
「魂を操る魔法使い」のようだった。
「カリスマ的資質を持っている」というのはこういう事なんだと思う。
演奏者はきっといつもと大変違う演奏をしたのではないだろうか。
彼が美しい曲を指揮している様子も是非見たかった。
12/4.wed.
暑い、暑い。急に夏日になった。
身体がせっかく冬使用になってきているのにこんなに激変したら困るのです。
12/3.tues.
暑い。27、8℃あったと思う。
12/2.mon.
この間浜に行ったらカツオ丿エボシが何匹かいた。この季節には北風であんな種類の海月が来るんだ。カツオ丿エボシの触手は、昔の注射器の青色。長ズボンを履いていて良かった。足に触れでもしたら大事になってしまう。海には命を落とすくらい強い毒を持った生き物がたくさんいる。
12/1.sun.
11/29に「spain」の没テイクを聴いた私個人の印象や感想を書いたが、
先程、もう一度没テイクの「spain」2takeを聴きなおした。
まず、「spain」をざっと流して演奏し終えたばかりのメンバーの会話が入っている。
その後で演奏し直した「spain」2takeがはじまる。
頑張ってヒヤリングをして彼等の会話をここに書いてみようと思う。
解らない単語や聞き取れない言葉が2箇所ある。(私のトランスレイトですから大雑把です)
誰か:もう一回やろう。
チック:ちょっと、僕まだピアノとフルートのバランスがヘッド・ホーンでモニターできていないんだ。
つまりベースなんだけど、モニターの音をもっと上げて欲しいな。みんなベース聞こえてる?
みんな:ああ、そうだね。
スタンリー(だと思う):「えっと、えっと、あの、僕はここんところの演奏ではぺロウ(ベース用のマイクの名前か?)や@@を使わないでとにかくマイクで自然な感じで演奏したいんだ。
OK?
ぺロウは使わない。@@も使わない。自然にマイクで録るよ、いいだろ?」
(曲の始まりはウッド・ベースを弓で弾いているのでその部分はオープン・マイク録音したいという事ではないかな?)
誰か:別にいいんじゃない・・かぁ・・うん、うん、
チック:みんなそれでいい?よし、じゃ、やろう。
-曲の始めの音(F#)でピアノとベースのチューニングをする-
チック:よし、イイ感じ!
スタンリー:そんで、オレは後でぺロウ(?)を使うんだもんね。(笑)
チック:よし、チューニングが終わったらみんなヘッド・ホーンのベースを上げ気味にしてね。
OK?,............OK??
〈一同シーンとする〉
......みんな解ったかい?
スタンリー:いつ、始めるんだい?(なぜかyeah,とかOK,と言わないところがおかしい。ツッコミ)
チック:リズムが出たらはじめるさ。(笑)(アイアート次第さ。軽くボケてアイアートに振る)
スタンリー:All ,right.ハハハ,please.
こんなやりとりの後で、没テイクの一曲目がはじまる。これは後半の途中から始めたようだ。
チックとスタンリーのソロはとてもいいが、ジョーのフルートが不調。フローラの歌はいい感じ。
曲が終わって、
誰か:わー、走ったね。
チック:早すぎだったよ。
という会話が入っていた。
次のテイクは、もう少し遅いテンポで落ち着いた感じで始まる。
なのにあの手拍子のところでアイアートとフローラが盛り上がって思いっきり叫んでいた。
演奏はとてもうまくいっていたけれど、チックは「サイエントロジー」な、硬質であり、
なおかつ柔らかくもあり透明なサウンドを追求していたようなので、
ブラジリアンの元気な声はちょっと違ったようだった。
ライナーを読んでみたら、この曲は最終的に各テイクのいいところを繋いで編集されたそうだ。
それにしても、チックもスタンリーも研ぎ澄まされた演奏で、クールで熱い。
ぜんぜん気を抜いていない。すごい気迫で演奏中の指が見えるような演奏だ。
アイアートのドラムスは無駄な力が入っていない上、軽々溶け込んでいて、
まるで優れもののエンジンのようだ。
ジョーのフルートの高音は、肺や咽を空気が抜ける感じがわかる。
このユニットはやっぱりいいなあ。
「What game shall we play today?」では、
チックはワウを使ってふにゃふにゃしたファンクのアレンジで始める。
take1,2,3,4,を通して最終的にあのオリジナルテイクになったプロセスが聴ける。
take 1が終わったところで
チック:よし、もう一回違うアレンジですぐにやってみよう。
エンディングはフローラがさっき提案した@@のような感じで何か歌ってもらって、
曲が始まったら1回歌って見て@@@@ってことにしよう。いい?
フローラ:あ、は、はい....。(よく分かっていないように聞こえる返事。先生に何か言われている女子高生のようだ。)
チック:Here we go,take2!
チック:take3!
チック:Let's doing another one right away! take 4!
というような会話が演奏の後にそのまま入っているので練習風景を見ているようで面白い。
フィルムがあったら見応えあるんだろうなあ。
11/29.fri.
夜中に絵を描きながらチック・コリアの『ライト・アズ・ア・フェザー(2枚組)』をヘッドホンで聴く。これは没テイクの「Spain」2takeと「What
games shall we play
today?」4takeが入っている。「Spain」では、ジョー・ファレルが何度も間違えて曲間にちゃんと出られなかったり、
フルートの音が裏返ったりして悩んでいる様子が伺える。
チック自身も間違えているのだが、単にまだ曲を覚えていなくて間違えているのか、
あの二人(アイアート・モレイラとフローラ・プリム夫妻)のせいなのかは不明である。
(私は二人とも好きなんですが)
器楽演奏者は「眉間に皴」状態なのに、あの二人は、リラックス・モード全開で、
せっかくいいところまでいっていた「Spain」の手拍子の途中で盛り上がりすぎて
絶叫して没テイクにしてまうところがおかしい。
その前のテイクでみんなが苦労しているのを聴いているので、
チックをはじめ他のメンバーの落胆が目に浮かぶ。
2枚続けて聴くうちに、昔のバンドの練習中の憂鬱な気分がフラッシュ・バックしてきたので、
発作的にbeat優先の音が聴きたくなり、ブラン・ニュー・ヘヴィーズの
『ヘヴィ・ライム・エクスペリエンス VOL.1』を探す。
みつからないので、代わりに久々にロニー・ジョーダンの『the quiet
revolution』を聴く。
このアルバムには、タニア・マリアの「Come with
me」のカバーが入っているから買った。
マイルドに聴きやすく面白いアルバムだった。一曲目の
“This is the season,
This is the season,
This is the season,
for change”
という、タイトルにふさわしい、くぐもった声のラップもいいが、
「ジャッカル」という曲でポエトリー・リーディングしている「ダナ・ブライアン」も
恐ろしげな迫力があって面白い。でもこれは一曲だけ聴くからいいのだと思う。
コーディネイトがうまくいっているアルバムである。
でもタイトル(『the quiet revolution』)のせいか、
CDの棚でも静かに並んでいて何となく目立たないのだ。
ポエトリー・リーディングと言えば、LKJは今ごろどうしているんだろう。
LKJは来日した時、街で見つけた「健康サンダル」がえらく気に入って
大量に購入して帰ったという話をレゲエ好きの友人から聞いた。
あの茶色の丈夫な500円くらいのサンダルだ。
彼は何かの写真でも「健康サンダル」を履いて写っていたそうだ。
ロンドンには「健康サンダル」は売っていないんだろうか。
もしまだ気に入っているなら送って差上げたい。
私はLKLの「ヴィクトリアス・ダブ(だったかな?)」が好きでよく聴いた。
ロンドン録音だからブラスのプレイヤーは一流ぞろいだったんだろう(推測)、
演奏はとても良かったように記憶している。
ベースラインが特に印象的だったが、全てのパートがお互いに会話しているような、
絵を描いているような、とても面白いバンドなのだ。
ブラスが喋るとドラムスもそれに返事をしたりしているところが好きだった。
そこにLKJがジャメイカン・イングリッシュでぼそぼそリーディングをする。
詩は、イギリスで暮らす外国人の愚痴のような、社会批判のような内容だった。
長年聴いていないので久々に聴きたいなあ。
その頃、他によく聴いたのはフェラ・クティーやイラケレである。
イラケレのライヴアルバム『イラケレ』は、いつ聴いても最高だ!
私はCDを持っていないので、友人に録音してもらったカセットテープで未だに聴いている。
空気が凄いアルバムでこれはラテン好きな人になら絶対お薦めだ。
元気になれるし、演奏技術も素晴らしい!楽器で自由に話をしたり、ビートを刻んだり、
ああ、上手く説明できないけれど、とにかく彼等のエネルギーの凄さには溜め息がでてしまう。
まだCD売ってるかなあ。
あの頃の私の耳には、全てが、ただただカッコ良くきこえたが、
以前よりは彼等の背景を考える事ができる今、改めて聴くとまた違って聞こえる。
高校以来聴かなくなっていたビートルズも、今聴くと
「あの時代に随分いろいろ工夫してレコーディングしたんだなあ。」等々
改めていろいろ関心したり尊敬したりする点が多い。
私は『ホワイト・アルバム』以降が特に好きだ。
11/27.wed.
私が選んだスクエアのBBSは文字化けするので、新しいBBSをさがしている。
いろいろ見て回ったけれど、tea-cupのBBSが一番シンプルで使いやすい。
編集できるのがとてもいいしタグも使用できる。
だんだん使いやすいBBSが出てきたなあ。
ちょっと頑張って1から作ってみようと思ってcgi.をDLしてみたけれど、
絶対に無理な事が判明。
「ちょっと頑張って・・・」なんて、よくそんな大それた事を考えたもんだと自分に呆れる。
11/26.tues.
ワインを送ってくれた姉は、姉弟では唯一の体育会系で、未だにバレー・ボールの審判をしたり、
マラソン大会に出場している。体育会系といってもアウト・ドアには弱い体育会系なのだ。
「わたし体脂肪率は20代後半よ。」と自慢げに言うのだが、本人を見たらそれは嘘ではないと思う。
すごいなあ。でもそれは姉の長年の努力の賜物なので、私がちょっと真似したって絶対に無理なのだ。
姉はいつも元気だ。元気すぎて一緒にいると、どうしていいかわからなくなることがある。
姉弟なのに何でこんなに性質が違うんだろう。
姉は笑うととても楽しそうな声を出す。
私はその声を聞くのが好きだ。
11/25.sun.
東京の姉がワインを送ってくれた。付属品のワイン・オープナーがとても素敵だ。
-映画の中の言葉について/2-
my special one,
ヴィム・ヴェンダースの『ベルリン天使の詩』という作品がある。
この映画は詩の朗読から始まる。
その詩がとても好きだ。それを朗読する深く優しい男性の声の表情も素晴らしい。
詩は映画のところどころで姿を見せる。
ヴィデオを止めて詩を全部書き留めたものがあるのでここでご紹介します。
11/23.sat.
-映画の中の言葉について/1-
In my opinion,
アメリカ映画で“
I ・ am ・ the ・
law!”というフレーズをよく聞く。
このフレーズは例えば、西部劇で登場するお決まりの悪者が数々の悪事を働いた上で、
得意げに親指で自分の胸を指しながら(時には高い所に登って)言い放つシーンに取り入れられ、
アメリカ映画ではよく聞くフレーズの一つである。
(最近は、“It's under my
control.”の方が多いかもしれない。)
いかにも『Back to the
Future』のBiffくんが好きそうなフレーズだ。
でも映画の中では誰もBiffくんには「politician」にはなって欲しいと思っていないし、
その判断はとても正しい。
映画の中の言葉やキャスティングが気になる事はよくあるが、
記憶に新しいのは『宇宙戦争回想録1』(ファンが圧倒的に多いので恐縮して和訳にしました)
の登場人物である。
思い出せるだけ書いてみると、まず、悪者の顔の赤と黒の模様や衣裳はどう見ても中国出身に見えたし、
言葉を取り上げたら、例えば権力者はテレパシーで話すか、訛りの無い、もしくは上品系な
アメリカ英語であり、こすっ辛い役付きは、クイーンズ・イングリッシュ系の訛りを、
その他大勢の庶民の言葉は、多様なクリオールだった。
中古パーツ屋(pawn)の英語はアラブ訛りであり、マフィアのキャラクターはイタリア訛りの英語、
能天気で原始的なキャラクターの訛りはパトワ語だった。
私は、コンビニでオマケが欲しくなりコーラを買ったりしたが、実は映画を見ていて
このキャスティングには大変不快だった。
しかし、この映画はもともと「宇宙の帝国」についてのストーリーなのだから
構造的にはレイシズムが出て来るのは当然である。
だけどそこにリアルなレイシズムを当て嵌めるのは、一見解りやすくて面白いのかもしれないが、
根は大変悪趣味だ。と、私は思う。(これ以前のシリーズからはこのような印象はさほど受けなかった)
でもこれは大人気作品なのでこういうキャスティングはどんどんOKになっていってしまうんだろう。
因に『宇宙戦争回想録2』は、まだ見ていない。
映画の台詞で好きなのは、スパイク・リ−の1988年の作品(マイナーなのだが)
『スクール・デイズ』の最後のシーンでまだ若いローレンス・フィッシュバーンが叫ぶ,
という一言である。
この映画を見た頃は、リアリティがあまりにも違うので、大枠でしか理解できなかった。
内容的には翌年の作品『Do the right
thing』の方がわかりやすいのだが、
『スクール・デイズ』のラストシーンは何故か今でもよく思い出す。
“wake
up”という短い言葉だけれど、これはフィッシュバーンの名台詞だった。
私の目はぼーっとしている間にすぐ曇るので、何度も目を醒さなければいけないから
このシーンは好きなのだ。それにこの台詞はいろんなところにリンクしている。
.......とても奥が深いのだ。
um........とりあえず“that's
it.”ってところでしょうか。
ちょっと尻切れトンボだなあ。映画の話は、またいずれ。
11/22.fri.
夕べ夜中TVを見ていたら、教育TVで「あらわれた世界新秩序」-“帝国”の思想をめぐる対談-
という番組が始まった。
アントニオ・ネグリ著の「帝国」の翻訳者の一人である、酒井隆史氏(大阪大学大学講師)と
西谷修氏(東京外国語大学大学委員教授)の対談だった。
「帝国」を読んだ訳ではないのでこの本に関して意見は述べられないが、
対談は非常に解りやすく重要な内容だった。
“今世界で何が起きていて、何に気付くべきか”について誤魔化しのない意見を
はじめてTVで聴いたと思う。その点では様々な溜飲が下った気がするが、問題が解決した訳ではないし、
これを放送するという事は、一体どういう事なのであるかをメディアの受け手である私達は考える必要があると思う。メディアから発信される情報の中に何が漉込まれているかを探す目を持つ事は大切だと思う。
9.11以降の世界の流れを見て、善悪の判断の基準を見失った子供達や若い世代が
気の毒であり心配だと思っていたが、この番組の言うように
『マルチチュードたる人々は9.11事件によって、「暴力の前に人は平等である」ということに
気が付いた。これが「帝国の衰退」始まりなのです。』と言う点には、
少しでも希望を持っていたい。本当に!
11/21.thu.
風邪を引いてしまったようだ。どうりでこの2、3日不調だと思った。
なにかあったかい飲み物でも飲んでみよう。
11/20.wed.
はっ。今日は20日だった!投句をしなければ。
さっき、『今度の投句はこんな句にしようかなあ・・。』などとぼんやり思っていたが、
締め切りは今日ではないか。最近、私のカレンダーはとてもいい加減になっていて、
まだまだ先だと思っている事が明日だったりするのだ。
実は、昼間なぜか『今日は土曜日だ。』と思っていた。
日替わりで夏になったり、秋になったりするからぼんやりしてしまう。
11/19.tues.
夜、英語の勉強に行く。今日は、頭が英語モードに切り替わりにくく言葉を繋げる回路がとても遅い。
頭が英語から離れている日は英語を話すのが億劫だ。
11/18.mon.
今日は種取り祭に行った。種取り祭は清められた土地に種を蒔く前に、ニライカナイ(海の彼方にある楽園)から来た神様「弥勒(ミルク):沖縄では「ro」を「duo」と発音するためこうなるが文字にできない発音である」に豊穰を祈願して踊りを奉納するお祭だ。
でもこの弥勒は弥勒菩薩ではなく、弥勒菩薩のようなお坊さんがベトナムにいて、その有名なお坊さんの顔のお面があるそうだ。そのお面を、誰かがベトナムから八重山に持ち帰ったのがきっかけで、それが「ミルクガナシ」と呼ばれて豊穰の神になったのが所以らしい。(どこか少し違うかも)ちょっとややこしい話になったが、このお祭りの主人公はミルクガナシなのだ。
御嶽(ウタキ・日本で言う神社のような場所)に作られた舞台に紅型の幕が張られ、その周りに観客席が用意されるが、全ての踊りは神様に捧げられる。踊りの奉納は今日、明日の二日間であるが、その何日も前から「暦の良い日」や「潮が良い時間」に、神官達が島内のいろいろな場所で小さな神事を行う。
今日は西の村と東の村の踊りの奉納で、明日は南の村の奉納なのだそうだ。踊り、衣裳、歌、地弾き、笛、鳴り物に至るまで完成が度高く素晴らしく美しかった。重要無形民族文化財に指定されている理由に納得する。
舞台裏の木陰やテントの下で人々がお化粧をしていくプロセスを見ていた。男の人もみんなちゃんとした舞台化粧をする。お化粧は神様に踊りを奉納する人の俗を払う役割をしている。
例えば、簪をさす事によって神様に通じる用意が整うというように、神事の衣裳は細かい所まで意味を持っている。
舞台化粧専門の人が筆で人の顔を変えていくのを見ていたが大変風情がある情景だった。大きな木の下で着物姿の女の人が背筋を伸ばして座り、手鏡を見ている姿や髪を結っている様は、とても鮮やかで時代がいつなのか解らなくなる感じがする。
このお祭りは、八重山では今まで見たことのないようなヴァリエーションに富んだ踊りがあって珍しかった。衣裳には、日本、中国、韓国などのいろいろな文化が入っていた。飛鳥時代に近い衣裳もあった。「胡蝶の舞」は花の精の二人と蝶の二人が出てきてとても美しかった。
種取り祭は有名なので観光で訪れる人が多い。竹富で農業をしている人は殆どいなくなってしまったがこの行事だけは受け継がれ、祭のために日本全国から600人前後の竹富出身者が帰ってくると言う。
島の祭を見ていていつもいいと思う事がある。それは、踊り手と観客の差がなくなり、その場の全員が“同じ空間にいる者たち”と括られる雰囲気になる事である。それはきっと御嶽が持つ独特な空間や大きな木々などの自然のエネルギーが濃いからではないかと思う。この感じを言葉で説明するのはとても難しい。昔、島人だけでこの行事が行われていた頃は、もっと静かで霊力が高く凄い雰囲気だったのであろう。
寝不足のまま行ったので踊りを見るうちに眠ってしまう。外で眠るという事を殆どしない私がこうなるのは限界に達しているサインなので途中で帰る。船の中で熟睡。石垣港で船の外から、おじいさんが窓を「コンコン!」と叩いて起こしてくれた。危なかった、そのまま眠っていたら西表まで行ってしまうところだった。
11/17.sun.
今日は種取り祭だと思っていたら明日、明後日だった。この間は16,17日って誰かが言ってたのにな。
11/16.sat.
今日、明日は竹富島で重要無形民族文化財の「タナドゥイ(種取り祭)」である。私はまだ行った事がない。いつでも行けると思うとありがたみがなくなってしまうのでこれではいけないなあと思う。明日、行けたら行こうかなあ。最近小雨が降ったり晴れたりしていてとても暑い。
11/15.fri.
先日、ある人のホーム・パーティーに参加した。私は音楽関係の担当者として間接的に呼ばれたので、家主さんも、パーティー客も殆ど知らない人ばかりだった。そのお宅は広い木造のとっても素晴らしい家だった。お客さんも30人以上来ていて盛会だった。
そこに目がキラキラしていて、何でも手伝ってくれる若者がいた。二十代前半、筋肉質で日焼けした人だ。頭には白いタオルをきゅうと巻いており、グレーのTシャツにジーンズに島ぞうり。うーん、とても爽やかである。彼は「この家の力仕事は何でも自分に任せてくださいっす!」と言った。彼はそこの家に一週間ばかり居候しているところだそうで、そのお礼にいろいろ働いて返しているらしかった。彼の話をいろいろ聞いているうちに、何だか記憶が混乱するような感じがした。
『はて、この感じってどこかで見たような気がするなあ。。。これはデジャブだろうか・・・・?・・・・はっ、これは“ウルルン何とか記”という番組にそっくりだ!!』
そうなのだ。彼はウルルンなのだった。だって記念樹のかわりに記念大根も植えていた。
「僕がここに滞在した証(あかし)に大根を植えました!」と言うのだ。
私は「大根って深く掘らなきゃならないから大変だったでしょ。畑。」って言うと
「はいっ。深く掘りましたよ!芽が出た様子も見て下さい。こちらでっす。」と案内されたのは普通の庭で、そこに50cm四方程の畑(畝2列アリ)を作り大根の種を一袋一面に蒔いていたのだ。
『蒔きすぎだよ、狭すぎるよ、それじゃミニ芝生だよ。』と心でツッコミを入れつつ
「ちょっと、間引かなきゃね。」と言った。
彼は「はい、そうなんでっす。」と引き続きうれしそうにしていた。多分あのスペースじゃうまくいっても人参サイズの大根が2本くらいしかできないと思うけれど、彼はとにかくとても幸せそうにしていた。
だけど「僕は明日の朝早く出発しまっす!」と言う。そ、そうか。とにかく“good
luck”。。。
あの大根畑は今ごろどうなってるかなあとたまに思い出している。
11/14.thu.
ちょっと雨が降って晴れたので蒸し暑い。お天気になるとすぐに夏みたいになる。蚊とり器は1年中使います。
11/12.tues.
Billieさんに訂正をお願いするメールを書く。私は書くのは苦手でペン(キーボード)があまり進まない。Tea-Potの皆さんは英語圏の方々で、文芸系の人々であり、しかも英語の詩のジャンルでは飽き足らずに俳句を志している方々で、言わば英語の達人集団なのだ。『そんな方々に私のような適当英語のメールをどうやって書くことができるだろうか、いいやかけはしない。』と言う風に最初はメールが来ただけで一人ですごく緊張していたけれど、最近は慣れてきた。でもやっぱり思った事を完璧にすらすらとは書けないし、書くまでに心がぐずぐずしてしまうことがある。
アイルランド人の友人にその事を話したら「いつも喋ってるまんま書けばいいじゃない。」と言ったので「でもほら、thatで繋いでこう上手いこと言ったりとかするのがちょっとなんかこうねえ。。。ナーバスになっちゃってねえ。。」とぐずぐず言ったら「そぉんなもん、シンプルに一行ずつ短く書けばいいのよ。いーの、いーの。(simple
is the best!)」と言った。
とりあえずその通りにしていたらある日、彼女は「私って、喋る時はこんなだけど、メールの時はそんな訳に行かないでしょ。とっても神経質に文法とか訂正するんだ。だって残っちゃうから恥ずかしいもん。疲れちゃうよね。メールって。」と言った。『え?ではこの間から彼女の助言によって始めたあの簡単英語手紙の方法は一体・・。』と思ったが、もうそれはそれでいいにする。
彼女は私に敬語のフレーズをたくさん教えてくれた恩師でもあるのです。筑波に越してしまったけど友達はできたかなあ。
11/11.mon.
Billie
WilsonさんからCD/BOOKプロジェクトの校正のお知らせが届く。White Owl WebのLayneさんを始め担当の皆さんが校正用のプライヴェイト・ページを作製してくださった。音声ファイルはMP3かWAVで、本はPDFでDLできて全てが大変確認しやすい。PDFファイルはこんな時に重宝する。本の出来は上々。担当者の皆様ありがとうございます。
11/9.sat.
この間来た友人が市場の2階で売っていたウコン(鬱金)に大変興味を持っていた。
「え?これすごくまずいよ。粉だし。」と言ったら「よう効くらしいし、今飲んでみたけど大丈夫やったし買うわ。」と言って購入していた。大阪の知り合いの間でもウコンは話題になっているそうだ。
地元では「うっきん」と呼ばれている。市場で野菜を売っている女の人達は、うっきんを噛ったり、すりおろしたりして仕事の合間にちょっとずつ食べてハードな仕事をこなすそうだ。殆どがご年配の女性だが、毎日重たい野菜を並べたり運んだりしてとても元気だ。胃が悪い時にも効くし、肝臓の働きをよくする。私もたまに気まぐれで生のうっきんを買う事がある。すりおろして水と一緒にごっくんと飲む。味は癖のある濃い生ショウガに似てる。カレーに混ぜてしまうこともある。結局ターメリックなのだから変な味にはならない。それどころか身体がほかほかしてきてなかなかいい。
とにかく疲れ知らずの身体になるらしいので、今日からすりおろして飲むことにした。効果はでるかな。いつまで続くかな。
11/8.fri.
魚の研究をしている知り合いに街でばったり合う。
前々から私が疑問に思っていた魚の変わった泳ぎ方の理由を知るチャンスだと思い質問するが
「ああ、いるねえ、そういう泳ぎ方の魚。なぜでしょうねえ。」と飄々と答える研究員さん。
「え、でもあれはきっと何か意味があってあんな泳ぎ方してるんだと思うんですけど・・。」
と言うと「そうですねえ、でもそれは永遠の謎です。」と笑いながら答え
「そう言えば目が真横についている魚を掬おうとすると身体を傾けて上を見るのが面白いねえ。」
などと違う話になってしまった。研究員さんが知らないなら、もう誰に聞けばいいのかわからない。
11/7.thu.
友人夫妻が帰った。「バーイ、バーイ!」とタクシーに手を振ってお別れが済んだところで足元にリュックがあるのを発見。フライトぎりぎりまでゆっくりするところも、わざわざ貴重品を忘れていくところもぜんぜん変わっていない。タクシーの運転手さんは、彼等のフライトの時間を聞いて焦っていた。すぐに追いかけようしたら忘れ物に気付いた彼等が帰ってきて爆笑。音楽だけで頑張っている彼等を心から尊敬し、応援している。次はいつ会えるかな。
11/6.wed.
友達のバーに行く。ギターがあったので、何となくボサノヴァのセッションがはじまる。ギターは来島中の友人。その奥さんはヴォーカリスト。楽器は一つしかなかったので二人で歌ったり声を楽器代わりにして遊ぶ。パーカッションはグラスやテーブルを代用。途中、河内音頭や濃いブルースも登場。ライターを使ってスティールギターのまねっこによるハワイアン、それからビ・バップのヴォーカリーズ対決などいろいろなところに流れていくのが楽しい。友人は次々に難なく曲を奏で、人間カラオケギタリストと化していた。
手抜きができない彼の性分のおかげで素晴らしい演奏を聴くことができた。彼の二枚目のアルバムは、去年の9/11直後の録音。予約していたN.Y.のスタジオは危険区域になってしまい、やっとのことでレコーディングを終えるまでのエピソードなども聞く。
11/5.tues.
友人夫妻と3人でいろいろな場所をまわる。潮干を歩いたが秋のせいか、いつもいる生き物がいなかった代わりに初めて見る生き物を見つける。椰子原生林でも虫が少なくキノボリトカゲくらいにしか会えなかった。
夜、民謡ライヴに行く。実は民謡ライヴは私も初めてだった。太鼓を担当していた女の人は太い撥で細かいローリングをして、踊りもとってもかっこよかった。またまた演奏や楽器のパートの役割やフレージングなどの細かい所まで熱心に鑑賞している友人夫妻。彼等が来てくれたおかげで私も普段あまり行かない所に行けて楽しむ事ができた。
11/4.mon.
大阪から旧知の友達夫妻が来島。牛や馬を見に行ったり、ソーキそばを食べたり、夜はちょうど市民会館で行われていた八重山古典民謡の発表会に行く。
30人くらいで一緒に演奏、合唱するゆるやかな旋律の曲を聞いていると声や楽器が身体に響いてぽかぽかしてくる。楽器は、琴、竹笛、三味線、太鼓。一つのキーで男女全員ユニゾンで歌う声が柔らかくα波を誘うので眠くなってくる。生演奏はやっぱりいいなあ。二人ともミュージシャンなので三味線の指の使い方や声の出し方等いろいろ細かい点を熱心に鑑賞していた。二人とも元気そうで何より。ここは本当に遠いので会えるだけでうれしい。それから黒ゴマシュ−クリームをお土産にもらってうれしい。
11/.3.sun.
風が寒い。昨日と今日は石垣島まつりだった。さっき花火があがった。大きい花火の音が地響きしたので犬は驚いて帰ってきた。私は昨日の力仕事で疲れてお祭りにも行かず今日は特に何もはかどらなかった。
11/.2.sat.
とても寒い。昼から夜まで延々力仕事。その後、スクエアBBSの文字化けの原因についていろいろ調べる。10/30にこのページにアップした雲と雨の絵が文字化け対象なのでを削除する。まだ他にも化けている文字があるかもしれない。
11/1.fri.
もう11月になってしまった。“内地では稲が金色できれいなんだろうなあ。。”と思っていたら朝からRUNDMCのジャム・マスター・ジェイが撃たれたというニュース。ああ、こういうのってやだなあ。どんな事情で誰に撃たれたのかは知らないけれど、とにかくとてもやだなあと思う。
RUNDMCはHip-Hop(ラップ)の草分けと言われているが、彼等が登場する以前からラップはアフリカ系アメリカ人の間では大流行りだった。何しろ身体一つでいつでもどこでも始められる。彼等の持つビートは言葉をあっという間にリズムにしてしまう。そして、ターンテーブルとアンプ、スピーカーがあれば道端でも倉庫でもどこでもライヴができる。
RUNDMCは、ストリートやクラブで流行っているものをMIX-UPして、crazyにでっかいサイズのアディダスのスニーカーを履き、大きな金のアクセサリーをじゃらじゃら首からぶら下げて“Walk This Way”と歌いながらたった3人で派手に登場した。それは決してインテリジェンス溢れるファッションではなかったが「ストリートからでもスーパー・スターが生まれる」という事実は、ダウンタウンの苛酷な状況下の子供や若者に希望を与えた。
以前N.Y.に滞在していたブラック・ミュージック好きの友達から聞いた話だが、RUNDMCのポリシーは“NO
DRUG”and“FAMILY”だったそうだ。だからライヴも比較的安全で安心できる雰囲気だったらしい。露悪趣味系やドラッグ推進系などいろいろなラッパーの中で彼等は正しい内容のラップで若者を悪の道から救う側にいたそうだ。最近の彼等の事は知らない。私のRUNDMCに関しての知識はそれくらいだ。
ただ気になるのはジャム・マスター・ジェイが撃たれたという事実が、様々な人々のネガティヴな感情を煽るのに充分であるという事だ。何だかわからないまま、いろいろな場所で人々の悲しみや憎しみが生まれやすくなっている最近の流れが嫌だ。マービン・ゲイは「What's
going
on」という名曲を、J.レノンは「imagine」を。みんな影響力を持ったミュージシャンだったんだけど。
10/31.thu.
夕方、急に晴れて暑くなったので急いで泳ぎに行く。今日は誰もいなかった。海水の透明度はこの間より高く水の中の様子が良く見える。小さな平目が砂に潜っていった。『うまく隠れるなあ。』と関心。さよりもいた。さよりはいつも水面ぎりぎりを泳ぐ。口がとんがって長く、目つきがちょっとワルモノっぽいので初めて見た時は刺されそうで怖かったがお昼は平和な魚だ。ただ光に向ってくる性質があるので、夜間ライトを持って潜る時には注意が必要な魚なのだ。
魚を見ているとみんなそれぞれ用事がありそうで忙しそうに見える。以前、カボチャ大の大きさの石の影からじーっと私を見ては、また石に隠れるという人間っぽい行動をしていた黒い魚がいた。魚の中には逃げるタイプと逃げずにじっとこちらを見るタイプがいる。黒い魚は後者の方だった。私は『隠れたってすーぐ見つけちゃうもんね。』と思って石をごろんと裏返した。水中に藻などが散ってそれを目当てにいろいろな魚達がわっと集まってきた。そのとたん、黒い魚は激怒して槍のように真っ直ぐ私の靴を何度もつついた。寄って来た魚達に対しても怒って全員をつついて追い払っていた。とても怒っている様子がありありとわかって驚いた。
どうやらその石は黒い魚の家で、私はそれを破壊してしまったらしかった。誰だって家を壊されたら怒るのは当然だ。私は魚に直接怒られてしまってすごく申し訳ない気分になった。魚にもいろいろ事情がある事を身をもって知って、それからはなるべく何も壊さないように気をつけている。
10/30.wed.
夕べから午前中までまた大雨だった。
raindrops fallin'
yet the leaves
don't know to fall
tamasudare
10/28.mon.
とても涼しい。やっとエアコンなしで過ごせる気候になった。
10/27.sun.
松本英揮さんとイブラヒム・トゴラさんの「地球のスライドショー」という環境問題の講演会に行く。松本さんのお話はとてもわかりやすかった。炭と塩を使う洗濯法や菜種油などの植物油で動く車にとても興味がある。小さな村だったらすぐに実行できそうなクリーンエネルギーの方法が沢山ある。少しづつでもいいから日本もそんなエネルギーに替わっていけばいいと思う。仕事があり遅れて行ったので松本さんのお話は少ししか聞けなかったのが残念だった。
イブラヒムさんの専門は「バイオマスシステム」である。これがあれば、薪や炭を使わずに済むので樹木の伐採量が減る。彼は毎年15km進むサハラの砂漠化を少しでも食い止める為に、バイオマスシステムの普及を中心に、植林したり、またその植林を育てる為に井戸を掘ったり、ランプしかない出産所にソーラーシステムを設置するなど、村々を回って活動をしている。
マリでは出産時に1000人中約四分の一近くの母子が亡くなるそうだが、その大きな原因の一つは、夜間出産時、ランプの灯では暗すぎて充分な処置ができないことだそうだ。「蛍光灯一つ」が多くの人の命を救う。話には聞いていた事だけれど、実際の画像を現地の人が説明しているのを聞くとリアルである。全てがゼロからの出発で気が遠くなるような活動を、彼が前向きに行っている事や「地球規模でみんなが幸せになれるように。」と話す素朴さに心うたれる。彼の言う幸せとは、とてもシンプルな生活のことである。「戦争に使うお金を困っている国の為に使えばみんながもっと幸せになれるんだ。」という聞き慣れた言葉がとても重く聞こえる。
公演後、打ち上げを兼ねて関係者数人で食事に行く。アフリカの動物の話やいろいろな民族の話、マリの歴史やテロの問題までいろいろな話をした。今朝の新聞に『次期マリ共和国大統領候補のイブラヒム・トゴラさん』とあってとても驚いた。大統領候補と聞くと驚くが、彼は気さくで陽気なとても普通の人だ。彼は32才の若さであるがマリを救う大きな技術を持っている。「あなたはいつかは大統領になるかもしれないの?」と聞いたら「うーん、もともと僕は技術者だから政治には興味ないんだけどね・・。」と答えた。とりあえず、急いで鉛筆と消しゴム、チョークとステンレス製の物差しなどすぐに使えるものを調達して寄付する。彼に任せたら現地の子供たちの手に直接渡るから安心だ。今日は色々な人と仲良くなれてとてもいい一日だった。
10/26.sat.
海沿いの岩に、穴がぽっかり開いている面白い場所がある。穴を抜けたら違う空間にいけそうな感じである。《龍宮の入り口》と名前をつけたらよさそうな岩だ。誰もいないところで一人でそんな穴をくぐって、もしも違う世界にいってしまったら怖いので見るだけにする。そんな事あるわけないのだが、ありそうな雰囲気がする場所だった。
10/25.fri.
環境問題をテーマに公演している松本英揮さんとマリから来たエコロジストのイブラヒム・トゴラさんに会う。松本さんにお会いするのは今回で三度目だけれど、毎回忙しくて彼の公演に行けなかった。今回は時間がとれそうなので行こうと思う。
10/24.thu.
学習したことを基本に物事を考え、シミュレイトする能力が低下していることにまた気付く。
ストレスを受けるのは嫌なものだけれど、それよりも自分がストレッサーになってしまったことに気付くと愕然とする。
自分で「yes,i
am.」とはっきり答えられる個人的問題に関してなら、人と意見が違ってもしかたがないことであると納得できる。問題は「考えや答えがはっきりしているにもかかわらず、場や雰囲気に押されて間違った行動に流れてしまう自分の弱さ」にあるのだと思う。外にあるものの答えは外にあるのだ。それを自分の内側の資料に当て嵌めて何とか答えを出そうとしているうちに思わぬ流れにのってしまう。どうせ後で腑に落ちない気分を無視できなくて自分の間違いにはっきり気付いてしまうのだからこれは大きなロスである。
思考力低下、視野狭錯になっていると感じたら静かに考えよう。幾つになっても反省が終わらない事が情けないけれど反省して学習するしかないのでがんばる。
10/23.wed.
夕方から、強力な雨雲が3時間程かけて横切って行った。天気予報では洪水警報が出ていた。那覇からの飛行機が着陸できずに引き返したそうだ。たまに東京から来た直行便が同じ理由で東京に引き返すこともある。台風なら仕方ないけれど、雷雲ぐらいなら少し待てば晴れるので、宮古島の空港に着陸して待っていればいいと思うんだけれど、何故かそれはダメなようだ。
石垣上空まで来てまた東京に引き返すなんて、みんなすごくがっかりするだろうなあ。一瞬、通りが川のようになった。充分シャワー替わりになる位強くて大粒の雨だった。でもたまの大雨は溝がきれいになるのでいい。それから植物の根っこも元気になる。洗車の機械に通したみたいに町中が洗われた。
10/21.mon.
昨日書いた文章の何箇所かを書き直す。夕方、草取りや剪定をする。明日はまた、伐採をしなければならない。庭がすぐにジャングル化する。スペースは狭いのだが、みんなあっという間にどんどん伸びて、2ヶ月放置したら茎だったはずのものが幹に変わっていたりするのだ。
ああ、でも今どの植物にも花がたくさん咲いているから切りにくいなあ。でもこのままでは植物に占領されそうだ。色々な場所が植物の進出のためにだんだん狭くなりつつある。ここのポトスは葉っぱは団扇くらいの大きさで、窓から部屋にどんどん入ってくる。その巨大化したポトスのはじまりは普通のポトスのサイズなのに、地植えすると巨大化するようだ。というか地植えしなくても勝手に生えてくる野生ポトスである。
今、ちょうど良い日差しと雨が交互に来るので植物がぐんぐん伸びる時期なのだ。今からトマトや胡瓜やトウモロコシなど内地でいう夏野菜を植える時期で、2月頃にはいろいろな種類の野菜が収穫される。
トウモロコシは2月の季語なのです。
10/20.sun.
快晴。どこか散歩かドライヴに行きたいのに仕事でどこにも行けない。つまんないなぁ、こんなにいい天気なのに。とりたてて書くこともないので先日に引き続きおもしろい絵本のご紹介を。
私はC.V.オールスバーグという人の作品が好きだ。「ジュマンジ/Jumanji」という作品はコルデコット賞を受賞し、映画にもなった。映画の方はよくあるアメリカン・ファンタジー・ムーヴィー仕立てであったが絵本の方はもっともっとミステリアスである。彼の作品は少し怖いけれど、ちょうどいいところで怖さを抑えてある。それは[子供が読むから]という気使いからというよりも、彼のスマートさであると私は勝手に解釈している。彼の作品はどちらかと言えば大人向きだと思う。
「まさ夢いちじく/the sweetest fig」もウィットに富んだ作品。色を抑えた繊細な絵と構図は、どれをとってもリアルなのだが常に「無音」である印象を受ける。現実の世界に存在する音ではない「べつの次元の音」が彼の本の中にあるように思うのだ。(そういう意味での無音)しかし登場人物の性格やいろいろな場面の雰囲気はとてもディティーリーで、読み進めるうちに絵本の世界に引き込まれるような絵の描き方をする人だ。何か(ほうき、くだもの、ゲーム、庭、とか)をきっかけに物事が不思議に反転するような話が多いのだが雰囲気がとても素敵なのだ。お話の作者自身が絵を書いているのでイメージの伝わり方がより鮮明なのだろう。今月の俳句スクエアの月例句会にあった
無花果を吸い無花果に呑み込まる 篁風
という句を見てまるでオールスバーグの世界のようだと思った。民族や文化が違っても「無花果」という果物のイメージは似るものなんだなあと納得する。無意識の世界で共通している何かがあるのだろうか。例えばDNAが伝えてきた基本情報の隅っこに【無花果】の項目が薄く残っているとか。
10/18.fri.
夜中雷。台風と雷は意志を持っているような気配がある。
遠くから近づいて来る時の雷は虎の咆哮のようで、足音をたてない太い足を思い出す。
雷はティンパニーのように空一面に響く日もある。
頭上低くまで台風が降りてきている時の風の音は声楽のアルトのようだ。
どちらも怖いけれど美しい音だと思う。
10/17.thu.
夕方泳ぐ。やっぱり寒かった。うねりもでてきているし泳いでいても試練のようで辛いので早めに上がる。昨日からお菓子を沢山食べているので本当はもっとエネルギーを使わなければらばかったのになあ。
帰りにセンダックの絵本「あなはほるもの、おっこちるとこ/a hole is to
dig」の絵のようなTシャツを見つけて買った。この本にでてくることば達はとってもいい。ついでにもう一冊絵本のご紹介を。
これもとっても面白い本。
10/16.wed.
Billie WilsonさんからCDプロジェクトに関するメールが届く。その返信に各メンバーからメールが40通くらい来て読むのに苦労する。
Raku-Teapotの企画「CDプロジェクト」は去年の春頃、ドイツ在住のメンバーによる提案で立ち上がり、約1年間に渡り話し合いを重ね、今年1月末に録音という運びとなった。持ち時間1分で6句をリーディングしたデータをドイツのサウンド・エンジニアに送ってCDマスターを作製。アメリカでCDジャケットと本をプリント。参加者は24人。当初はCDのみの予定が、CDの出来がよかったので本も作ることになり、やっと原稿が出来上がったところなのだ。
Billieさんはこの原稿を作製するのにページ・メーカーの使い方を1から勉強して苦労して作ってくださった。(見習わなければ。)Raku-Teapotのメンバーは世界中にいるので、このプロジェクトに関するディスカッションや、データのやりとりは全てwebと郵便で行われた。途中で意見が割れてシリアスな状況になった事もあった。私は非力なのでただ見ているだけだったが、その都度よく話し合ってみんが納得できる結果を作っていくプロセスを見る事が出来た事は大変勉強になった。年内には出来あがりそうだ。どんなものになるのかとても楽しみにしている。
10/14.mon.
バリ島でテロがあった。ますます矛盾を隠さなくなってきた最近の世界情勢が恐ろしい。
「Power to the People」(by
J.Lennon)という歌が流行った事があったなあとちらっと思う。
peopleが集まってpowerを作ろうとするとpeopleの形はこなごなにされる。大きな反戦デモが起きているというのにTVではその映像を見る事ができない。ネットのニュースのサイトでかろうじて知る事ができる。
10/13.sun.
夕方泳ぐ。うねりがあったため少し泳いだら疲れた。風が少し寒かったせいか風邪気味になってしまった。そろそろ夕方泳ぐのも限界かなあ。引き潮で、もっと日が高ければ水温も上がるのでまだ少しの間は大丈夫そうだけれど。
帰りにサシバの渡りを見てきた友達に会った。サシバはフィリピンに行く途中だそうだ。午後4時半頃に、夜眠る木を探して群れが旋回する。朝、日の出少し前には飛び立つそうだ。
10/11.fri.
暗くなるのが早いので慌てていたらまだ7時だったりする。ここでは夏は9時になってやっと暗くなるのだけれど、内地に行くと日の出、日の入りが一時間半くらい早いので初日はいつも戸惑う。いっそのこと南時間に時計をずらした方がいいと思うのだがそれではTVとずれてしまう。ここは緯度的には台湾時間と同じ場所なのだ。
そう言えば昨日マックス・バリューに行ったら台湾人観光客が大勢いた。去年のテロ以降ストップしていた沖縄観光のクルーズ船がまた就航しはじめたようだ。台湾人はリンゴやお薬をたくさん買って帰る。台湾ではマンゴスチンや竜眼は安いけれど、リンゴは高価な果物なのだそうだ。それからお刺し身が大人気で、ベンチで食べている人が多い。台湾には凄い数の屋台があるので、みんな好きなものを買って外で食べるのが習慣の一つになっている。
私も台湾旅行中は屋台の朝ごはんを買って公園で食べていた。基隆の港からバスで台北に向っていたとき、バスは自動車専用道路のような道を猛スピードで飛ばしていた。台湾のバスはスピード出しすぎ運転で有名だ。窓側に座っていた私は同じく猛スピードで横を走っているトラックの荷台に乗っていた若い女性と目があった。彼女は丼を手に汁そばを食べていた。他の3、4人も鍋を囲んでみんな汁そばを食べていた。あんなガタガタに揺れる荷台で汁そばを食べるなんて、すごいテクニックだと関心した。
台湾の山の方にも行ってみたい。水墨画のような景色が広がるところがあるのだ。しかしバスは峡谷のガードレールなしのでこぼこ道でさえ猛スピードで走るらしい。
10/8.tues.
夜英会話のクラスに行く。先週は、その場で配られたイギリスのローカル新聞の記事の概要を短時間で把握した後、石垣のローカル新聞との記事の取り上げ方の違いなどについて話し合うという難しい事をやったのだが、今日は講師を含めて4人だったので雑談に変更。「初めてやった仕事は何?」とか「ルート・ビアの味ってどう思う?」とか「日本人はなぜあんなに家庭教師を雇うの?」などイギリス人の女性講師の質問に答えたり、こちらから意見を聞いたりする。
今日覚えた単語は“morale,mentor,learning
disabled,saury,mackerel..他”明日には幾つ覚えているだろう。saury=さんま、mackerel=鯖。どちらの魚も外国ではあまり食べていないようだから覚えても意味がなさそうな英単語である。moraleとmentorは覚えておくと便利そうだ。でも使わないでいるとすぐ忘れてしまう。今までにもう何十コ忘れただろう。
10/6.sun.
夕方泳ぎに行く。ホテルのビーチ・スタッフが帰った後、浜は誰もいなくなった。一時間通してゆっくり泳いだけれど今日は凪だったせいかそんなに疲れなかった。水温もちょうどよいくらいで、透明度も夏場よりよくなっていて砂地でも魚を沢山見ることができた。薄い銀色の鯉のような姿で穏やかな顔をした魚が10匹くらい群れていた。
10/5.sat.
台風の雲をもっとリアルにしようと思って一日絵を描き直していた。雲の感じがリアルになるにつれて怖い絵になりそうなので保留にする。顔が入った絵を描くのは難しい。表紙の絵はテイストが濃すぎて落ち着かないので差し替え。あーあ、長い時間かかって描いたのに。
10/4.fri.
昨日から何となく描き始めた台風の絵が、夜中にどんどん発達して表紙の絵が完成。初めは簡単な線画だったが、ムーフィングソフトで台風の雲を作っているうちに細かい絵になっていった。
台風の渦の方向を間違えて悩んだ結果何とか解決。ううん・・しかしこれでは台風の目ではなく耳になってしまう。でも気圧には目より耳の方が敏感なのでこれでもいい。
10/3.thu.
昨日は、Steaveさんから“South by
Southeast,vol.9,No.3”が送られてきた。今回は忙しくて投句できかったのが残念。
句会のテーマは“swimming”と“dog days”だった。“dog
days”は『犬が舌を出して「はあはあ」言うくらいに酷く暑い日の事を言うんだよ。』って誰かに聞いたか、本で読んだかして覚えていたけれど、何となくそれは定かではないので検索してみたらここにあった。なるほど、シリウスに関係があるんだ。日本の季語で言えば「極暑、酷暑、炎暑、炎ゆ」などに当るのだろうが、感覚的にはdog
days はdog days
なのだ。日本の季語が的確な英語の季語に置き換えられないのと同じで、dog
days のニュアンスも英語ならではのおもしろさがある言葉だと思う。
犬が地面を掘って冷たい土でお腹を冷やしている(南の犬はよくこうして涼む)のを見て私も{dig,dig,and
dig/for cool out my mind/middle of dog
days}--穴を掘る/思考を冷やす為に/dog days の真ん中で(also means
南中に)--というちょっとふざけた句を作ってみた。
自分の中から出た英語のニュアンスがどこまで句として通用するのかを知るためにRaku-TeapotやThe
Richmond Haiku
Workshopに投句する。どんな反応が帰ってくるのかを知る事はとても面白い。
dog days-
even the cottonwoods
are still
how dry
the pond
all day dog day
以上の二句はThe Richmond HaikuWorkshopの今回の句会より抜粋。
作者はまだわかりません。
10/2.tues.
夜中、天気予報を見て驚いた。台風が凄い早さで北上している。台風はいつも沖縄付近では自転車くらいのスピードでなかなか進まないので、まだ太平洋で停滞しているのだろうと思っていたら、関東を抜けてもう仙台に向っていた。今日はぜんぜんTVを見ていなかった上、夜は外出していたので知らなかった。970hPaなので勢力は弱い目だけど、内地はいつも雨による被害が大きいので心配だ。