2/28fri.
11月から庭の手入れをサボっていたので裏庭がジャングル化して
もう泣きそうなくらい荒れている。
夏休みの日記をサボって8月31日になった時みたいな気分だ。
この様子なら多分軽トラ2台分の枝が出るだろう。
それに植物を切ると疲れる。これはきっと植物が切られて痛くて、
「嫌な気」を出しているのではないかと思う。

2/25.tues.
昨日の星は金星だった。
でもいつもより大きくて光も強かった。
天気が良かったんだろうか。
今まで見た星の中で一番光っていた。

2/24mon.
明け方ぴかぴかに光る形がいびつで大きな星が出ているけど何の星かなあ。
燃えているみたいに光っていて土星みたいに平べったい形だった。
そう言えばこの間太陽の表面が爆発した時に、飛ばされた彗星があったっけ。
あれかなあ。

2/23sun.
今日は、総勢14人からなるジャンベ・グループのライヴがあった。
私はオープニングで静かめの曲を5曲演奏して歌った。
次にディジュリドゥのユニットが出演。
ディジュリドゥは一本だけで建物全体を振動させるパワフルな楽器だ。
ジャングルの薮の中から聞える獣の咆哮のような音も出す事ができる。
さすがアボリジニの楽器だなあと関心。
つなぎの時間にはDJがいろいろな曲をかけていた。
観客は92人も来て満員で立ち見だった。
最後のジャンベ・グループの演奏は迫力があって凄い盛り上がりだった。
人の熱気で地下のフロアはだんだん暑くなり酸欠になりそうだった。
ジャンベ・グループのリーダーは、猛練習をした為、指先が内出血していて
とても痛そうだったがステージでは素晴らしいアフリカン・ドラムを聴かせてくれた。
今回のライヴは、彼が石垣を去るので、彼への「はなむけ」として企画したのだ。
それぞれ気合が入った本格的な演奏が聴けてとてもいいライヴだった。

2/22.sat.
最近、音楽の捉え方が少し変わったことに気付いた。
音楽を聴くといろいろなイメージが見えるのだけれど、今まではどちらかと言えば
音楽を演奏する側の感覚で、演奏者の指の動きや息遣いなどが見える事が多かった。
最近は、演奏者が持っている景色や空気や空間を無意識に追いかけている。
例えばインストルメンタルの曲でも、音に表現された詩をシミュレイトして
画像化しながら聴いている事が多い。
これは俳句を詠んだり、観賞したり、俳画を何枚も描くうちに身に付いた感覚だと思う。
いろいろな表現方法がシンクロするとまた新しい展開を生むんだなあ。
自分で体験して得る新しい感覚は大変貴重なのです。

2/21.fri.
私はmacで「クラリスホームページ2.0」という、アンティークモノの
HP作製ソフトを使っている。今のところシンプルな機能で満足しているから
このソフトで問題はない。この他にVisual Page 1.0.3J (PPC)という
ソフトもあるけれど、これも古いソフトなのだ。
macで作ったページを他のpcで見たらいろいろ違うという事は聞いていたけれど、
私は無精をしてぜんぜん他のpcでチェックをしていなかった。
今日、たまたまwindowsを使う機会があったので、自分のサイトを見て
あまりの違いにあわてる。話に聞いた通り青がきれいに出ていないのが残念だ。
以前、群青色が真っ黒にしか見えないと言われた事があった。
それに私のpcでは見えないのだが、画像にはったリンクの枠が見え見えになっている。
今までブラウザの設定かと思っていたけれど、ソースで消せるので全部消した。
他では今までずっと枠があんなふうに見えていたんだよなあ。。。今ごろ気付くとは。。
今や、殆どの人がwindowsを使っているので色の調整をどうしようかと悩む。
モニターの設定があかるいとCGにところどころ色むらが見られ再度ショック。
急いで修復作業にとりかかる。これからは他のpcでまめにチェックしよう。

 

2/20thu.
朝、日本政府が国連安保理で米英支持したというニュースを見てがっかりする。
Raku teapotのMLに反戦の詩を投稿するサイト
Poets against the warが紹介されていた。

not allowed to say "NO!"

if hick alligator says "Yes"

we have to say "Yes,your Highness"

tamasudare

2/17.mon.
この間のライヴをきっかけにピアノの練習を再開した。
音楽の練習をするのは好きだ。
ネットを始める前は夜中もhead phoneをして毎日約3時間程練習していたが、
この一年半程は随分ピアノから遠ざかっていた。
テクニックがすごく落ちてハノンが難しい。
でも時間をおいたおかげで曲調や自分の演奏の流れを客観的に捉えることができる。
毎日の練習で指の力が安定していくのがわかる。
時々「脳から指先に指令がとてもうまく伝わる日」がある。
そんな日は安定したトリルが弾ける。下手ながらも思い通りに指が動いてくれると
うれしい。ピアノを弾くと気分もすっきりする。
音楽をやることはいろいろな面で身体にいいと思う。

2/16.sun.
2週間程「西川さん」(仮名)と呼び続けていた人が実は「吉川さん」(仮名)だった。
始めに「あの人の名前は西川さんだよ。」と、人伝てに聞いて私はその人のことを
「西川さん」とずっと呼んでいたのだ。その人も私の呼びかけに振り向いたり、
答えてくれていた。その人は旅行者だったので、もう何処かに移動してしまったけれど、
「いろいろお世話になりました。吉川」というメモを残してくれたので
その人の正しい名前が吉川さんであることがわかった。
私はその人を一度も「吉川さん」と呼んでいないので、いまだに私の中では
「本当は吉川さんの西川さん」という複雑なことになっている。
始めに名前を教えてもらった人に「あの人、西川さんじゃなくて吉川さんだったんだよ。」
って言ったところ、その人もやっぱりずっと西川さんと呼んでいたらしいのだ。
吉川さんはその人の呼びかけにも普通に振り返ったり答えたりしていたことがわかった。
どうやら私達二人に対して吉川さんは西川さんで居続けてくれたようだった。
また会える事があったらこんどはちゃんと「吉川さん」と呼ぼうと思っている


2/15.sat.
世界中で大規模なデモが起きている。
パリでは20万人、ロンドンは50万人規模。
http://www.asahi.com/international/update/0215/020.html
渋谷では5000人、那覇は50人規模だったそうだが、それでも何もないよりはいい。
イラク攻撃は来月中旬にずれ込んだけれど、これからどうなっていくのだろう。

2/13.thu.
おお、スパイク・リーが怒った!
http://www.asahi.com/culture/enews/K2003021301057.html
「よし!」と思う。
今こそ
“DO THE RIGHT THING!!!”とか
“W------ake U----------------pppp!!”という
彼の映画に出てくる「要の台詞」を声に出して言うべき時である。
彼の発言力はそんなにないかもしれない。
だけど声に出して言わなければいけないときだってある。
そして誰の言葉がどんな奇跡を起こすかは未知である。
あぁでも、もうこんなぎりぎりの所にしか希望を見いだせなくなっている状況が情けない。
戦争が始まるプロセスなんてこんなもんなんだと思うと愕然を通り過ぎて唖然とする。
『正しいことって一体なんなんだろう?』
子供の頃に持った疑問はそのまま、世界は未だに漠然とした不可解で満ちている。
みんないけない事にはっきり気付いているのに、阻止する力の方が弱いのであれば
この先、子供たちは一体何を信じて生きていくことになるのだろう?
牛乳パックを洗って干して、展開図の形に切り揃えている間に
一体どれだけの命と自然が無意味に破壊されるのだろう。
ああ、どうか3日経っても戦争が起っていませんように。
ケンカや争いごとはもう地面の底からうんざりなんだ。
声高に自己中心的な「正」を執拗に公言し続ける人が世に憚るなんて。
これじゃあ、神様が呆れて大洪水を起こしたりするのも無理ないと思ってしまう。
そういえば最近洪水や津波の夢をよく見る。
私は浮輪もなく一人沖で浮いており、向こうから大波が寄せてくるのを見ながら、
波に呑まれるか波を越えられるかをぼんやり思っている夢なのだ。
海の近くに住んでいるせいか、波の大きさも色も形も音も迫ってくる感じも
いつもリアルで目が覚めても鮮明に覚えている。

2/8.fri.
今日は、ディジュリドゥ+ジャンベ+パンディーロ+ギターorベース+ピアニカという
ちょっと変わった組み合わせでのライヴがあった。
徒歩30秒のお店でやったので、仕事の合間に見に行く。
自然派の音楽でこれもなかなか面白かったです。

 

2/7.fri.
今晩はライヴだった。
『70年代、フォークロックの古典を訪ねて』というサブタイトルで
フォークの部とハードロックの部の2部構成で行われた。
私はフォークの部で「はっぴいえんど」のカバーとオリジナルを発表した。
久々に人前でギターやピアノを弾いた。
楽器を弾きながら歌うのはとっても難しいのだ。
はっぴいえんどの曲は殆ど細野さんが歌っている曲をカヴァーした。
予てから歌ってみたかった「夏なんです」を歌えてうれしい。
この曲は歌詞も美しいが、曲が持っている空間が絶品である。
聞くたびに鎮守の森の木陰に居るような不思議な感じがする。
まだ道路がそんなに舗装されていなかった頃の昭和の真ん中の空気や
神社のひんやりとした土や石畳、それから龍の口から出ている
冷たいお水を思い出すのだ。詩を丁寧に朗読するような気持ちで歌う。
久しぶりにコーラスの曲ができたのも楽しかった。
今回一緒に歌ったみうらくんとは、歌い方が似ているのでやりやすかった。
彼は歌、ピアノ、ギター、ドラムス、ピアニカを担当してくれた。
彼は20才も年下で私とはほぼ親子状態なのだが、バンドを組んで同じ音楽を
演奏しはじめたら年齢の差は関係なくなる。このようなライヴができたのも
20年の時を経ても未だに若者に愛されている「はっぴいえんど」のおかげである。
他に「無風状態」とか節分にちなんで「鬼は外福は内」や
転調がとてもきれいなのに歌詞が退廃的な「風来坊」などを演奏する。
ロックの部では『格闘技ファンのロック好きの木工家』のSさんをメインに
ノイジーに力強く盛り上がり「男の世界」一色になっていた。
演奏した曲は、全曲が違うジャンルでアレンジしてあった。
ロック、ヘビメタ、アーバン系ブルース、ロック系Hip-Hop、ロック系ボサノヴァ(??)、
ダニー・ハザウェイ系循環ソウル、電子音楽系フリージャズなどなど盛沢山で
男の若者ばかりか最後には若い女の子も一緒に盛り上がっていた。
今回はバッキングのアレンジがしっかりしていたことと、このユニットに若者が入って
いろんなエッセンスを加えてくれたことも良い成果をあげた理由の一つだと思うけど
歌を歌う人がドラマーであった事は見逃せない。
ドラマーは体育会系に走りがちで、叩くことに嵌ってしまうことが多い。
歌モノの場合は、歌の起承転結を把握して、他の音を聞きながら
バランスよく繊細にドラムを叩かなければ、全体的に音量がどんどん上がってきて
最終的に失敗してしまうことが多い。今回は大丈夫だった。
それにしても一週間で初めての曲ばっかりを演奏したけれどみんなよく頑張ったと思う。
何だかまたまた変なライヴだったけれどそこにいた全員が歌ったり踊ったりして
とても楽しめたのでヨカッタよかった。

 

 

2/5.wed.
急遽決定したライヴに向けて、インフルエンザと戦いながら時間を見つけて
個人猛練習と合同練習をする。時間は一週間しかないのだ。
「キーが高いから下げて欲しい。」と言うと「みんなお互い様です。」と
冷たく言われ、とにかく複雑な手順は飛び越えてみんなが弾きやすいキーに
決定してしまう。うー、ちょっとキーが高いのだが、半音とか一音下げなんて
微妙すぎて駄目だそうです。(涙

2/3mon. 
この間来島した電子音楽友達の中で唯一歌を歌うみうらくんという青年がいた。
彼一人だけ島に残ったので帰る前にライヴをしようという話が持ち上がる。
とりあえず、堂々めぐりのような、あてどないセッションは止めて、
きちんと曲をしようという話になる。
時間がないので知っている曲の中から選ぶことになった。
参加メンバーは全員「はっぴえんど」が好きなのでその辺りをカヴァーする予定。

2/2sun.
昨日、日中はとても暑かったけれど、今日は一変してとても寒い。この温度差はこまるなあ。
私は今日はおなかがなんとなく痛い。昨日から、胃が変であんまり食べ物を食べていない。
こんな時は味がついていない絹ごしのお豆腐を熱くしてふーふーいって食べたい。
土鍋でお粥も作った。梅干しの塩分が胃にしみて痛かった。あぁ、なんか調子が悪いです。
 

 

1.21.tues.
週末はライヴが無事終了してほっとした。
一年程前から企画していたイヴェントだったが、
こんな変な企画は実際始めてみるまでは
どんな様子になるのか想像もつかなかった。
同じ企画を都内のライヴ・ハウスでも二回程試みた事があるそうなのだが、
第一こんなに遠いところまでそんなに大勢のミュージシャンに
来ていただけるのかが心配だった。
一晩だけ家屋の雰囲気が一変したのが不思議で面白かった。
結局「眠っていただく。」という目的は達成されず
眠る人は殆どないまま数々の音楽とともにみんなで朝を迎えた。
「また来年もやろうね。」という話をして、
昨日友人達も帰ってしまい、いつもの静かな冬に戻った。
わざわざこのイヴェントの為に音を錬ってきて
ここまで届けてくださった演奏者の方々に深謝している。

1.18.sat.
電子音楽系の友人の仲間がさらに10人程来島して家中人で溢れている。
殆どの人が初対面で誰が誰なのか全く不明である。
今晩は全員でライヴなのだ。
このライヴは各部屋にお布団を敷きつめて、眠くなるような音を発表して、
聴きに来た人には朝まで眠っていただくのが目的である。
みんな好きな場所でごろごろしたり話したりして音を聴きながら眠ってもらう。
気温は20℃前後なのでこれなら寝冷えの心配もないだろう。
ライヴの始まりは消灯時間の10時である。間接照明に切り替える。
でもみんな消灯時間を守らずに、トランプをしたり双六に夢中になっている。
廊下は各自が持参したターンテーブルやミキサーなどの機材と楽器であふれていて、
演奏者のブースができている。
その隙間にご招待したお客様が座ったり寝たりもしている。
大体は電子音楽なので音データ持参の演奏者は、ヘッド・フォンをして
機材に埋もれてpc画面を見ながらミキサーの卓を触ったりしている。
ゴボゴボ泡ぶくの音が続いたり、クラブ系になったり
氷の音楽やノイジーな音などいろいろな音が繋がれていく。
参加グループは全部で7組だった。
それぞれみんな違ったテイストを持っていて大変面白いのだ。
本格的な消灯時間は夜中12時に決まっていて
出演者兼イヴェントオーナーである友人が、起きている人に
「君達、もうねなさい。」と指導して回ることになっている。
でもご招待した人やその友達などがどんどんやってきて、
結局は薄暗いところで、みんなでぼそぼそ話したり、
時々さわいだりしている。
深夜3時前後は宴も酣(たけなわ)となっていて、
薄暗いところでみんな静かめに最大の盛り上がりを見せていた。
夜食を用意すると若者達がやって来てまたたくまに食物が消えた。
時々外に出て近所迷惑になっていないか音量などを確認する。
奥の部屋では完全に眠っている人もいたが
結局朝8時頃になってやっと全員が消灯した。
最後に音はCDに切り替えられて
fade out するようにライヴが終わった。

1.15.wed.
親しくしている電子音楽系の友人が東京から来た。
彼等は音楽活動以外に「カレー部」という、関東地区の美味しい、
又は変わったカレー屋さん巡りをする活動をしている。
私が東京に行くと「ゲスト部員」としてお薦めのカレー屋に行って
お店の細かい解説を聞きつつカレーを味わって食べる。
彼等が石垣に来たら今度は「カヌー部」の活動をする。
彼等は日頃、スポーツに殆ど縁がない生活を送っているので
カヌーに乗るとぐるぐる回ったり、最も風向きが強い方角に
自ら向っていったりしてしまい、通常の3倍くらいの体力を
無駄に消耗させる。
(ルートはそんなに大変ではない)
一昨年は27才の若者が「リポD」を飲んだにもかかわらず、
早くも「行き」でギヴ・アップしたので、私が代わって漕いだ。
私だってそんなに上手くないけれど、後ろの人との呼吸が大切なので
「これから海人モードになって偉そうに指図するからね。」
とあらかじめ断って声を出しながら漕ぐとうまくいった。
今回はどうなることだろう。

音もなく辷るこころは蝸牛 玉簾

写真は西表ピナイサーラの滝へのカヌールート

 

 

1.13.mon.
今は冬の雨の季節。いつもこの時期は薄い雨が降ったり
止んだりする天気なのだ。今日のお昼は暖かかった。

1.11sat.
年越し連画企画の『ニューイヤーカンブリアン2003』のページが
公開された。一枚の絵から大きな地図が出来た。
ページは一枚一枚の画像が見られるように丁寧に作ってあって素晴らしい。
この企画はインターネット連画環境『
カンブリアンガーデン』が
あってこそ実現したもので、このようなネット環境の開発から手掛けて
いらっしゃるお二人の努力には頭が下がります。
今回のセッションによって「ネットにおける表現の在り方」から発して
いろいろな事を考えるきっかけをもらった。
ネットを使って「何をどのように発展させるか」、
「何を発展と考えるか」、「【シェアーする】事の在り方や扱い方」、
「多面的な視点」、それに作用する「時」「環境」「関係者」などなど、
いろいろなマテリアルからできる「流れという事象」について考える。
 

1.10.fri.
やっと仕事が暇になってきたというのに今度は違う仕事が入る。
忙しい。なーんにもしなくていいような日が欲しいなあ。

1.7.tues.
雨が降っているので寒い。
年末から参加させていただいていた連画は今日で終了する。
この11日間、ずっと人の作品を見て絵ばかり描いていたせいか色がついた夢を見た。
景色がペイントツールで描いたような色の塗り方で
絵の中に立っているみたいな夢だった。夢にこんな風に影響するんだなあ。
自分が持っていないテイストの様々な作品をずっと注視していたからだと思う。
美術館に行って相当数の絵を鑑賞した後だってこんな夢は見たことがない。
人の作品から何かを見つけて次の絵に繋げるために、
いつもより情報収集のスピードが上がったんだろう。
思いもよらない展開から描いた事がないような絵ができた事や
その絵がまた誰かの手によって違うストーリーを持って変わっていくプロセスが
大変興味深かった。
距離を越え、知らない者同志が「年越し」という特別な時間と「場」を共有しながら
それぞれのイメージを絵によって展開させ伝達していく。
このプロジェクトのルールとしては、
postする「元画像の著作権」と「ファイルタイプ」とその「容量」だけが
決められていただけで連画の進行は「実験」であり「遊び」であり「真剣」でもあった。
今回の連画のプロジェクトに参加させていただき貴重な体験が出来た事、
安斎様、中村様、天気様に深謝しています。ありがとうございました。

1.6.mon.
沖縄本島で梅が咲いたそうだ。
きっとあと一週間くらいで寒桜も咲くと思う。
沖縄では一番寒い時期に桜が咲く。
そのおかげで気分的には少し寒さが遠のく。
去年買った桃の苗はまだ枯れていないけど
今年は咲いてくれるかなあ。
梅、桃、桜はいいなあ。やっぱり。

1.5.sun.
紅葉の葉をpostした方がいたのでそれを使わせていただき絵を描いた。
もう10年も生きた紅葉を見ていないからこういう形で紅葉に触れられてうれしい。
久しぶりに見る内地の植物は懐かしくいとおしい。
紅葉も銀杏も八ツ手も紫陽花も露草も蓮華も。
みんなそれぞれの繊細さを持っている。
 

ここだよと教えてくれる紅葉かな 玉簾

 

1.3.fri.
いろいろ忙しい一日だった。お正月はずっと仕事をしている。
その合間に絵を描く。絵は何枚描いても飽きない。
テキストと画像と音の違いについていろいろ考える。
今までライヴは必ず録音して後で聴いた。聴いている間はどきどきする。
出来が悪い時の音は死ぬ思いをしながら我慢して聴くが、
ライヴというものは録音された音以外に
「場の空気」と「演奏者の実体」というものがあるので、
録音に残っているのはそれを差し引いた分なのだと思う。
(どちらにしても自分で自分の音をジャッジすると
痛い事は多々あるのだ)
音楽はその場にいる人の身体に波動を伝え、
直接人に触れることができ、その場で反応を感じる事ができる。
録音しなかった演奏は生まれたと同時に存在が消えていく。
私は落ち着いて一人で録音して音を残すのが好きだ。
テキストと画像は残るという性質が強い。
基本的には表現する事に於ての本質はみんな変わらないと思うのだが
テキストと画像を発表する事については、まだまだ確信していないことが多い。
私個人の絵に関しては納得できる線があるから問題はない。
だけどプロセスを経て経験をしなければわからない事が沢山あって
現在連画に参加しているが、私はその途中にいていろいろ考える。
絵を描き始めた時は行こうと思っている所が決まっている。
描いている途中でだんだん変わっていく。
変わった方向が面白いので夢中になって描いてしまう。
自分だけの絵ならいいのだが、コラボレーションの時は
相手の表現に敬意をもって自分でどこまでを表現するかの線引きが
しっかりしていないと簡単な一枚の絵を描くのに動悸を覚える事さえある。
それは出来上がった作品にも表れるのだろうが、自分の中の問題が大きい。
これは連句をしていた時もそうだった。
別の例だが、英語の会話中でもたまに同じような事が起きる。
基本的には人種を取り払った人間同士の会話(当たり前ですが)という
スタンスで始める。
会話が複雑になってくると各々の人種や文化のカラーが濃くなってくる。
自分が堂々と発言、説明できることや“no,i don't think so.”と言う境界、
相手の文化や考えをどこまで受け入れるか、それから自分の中の間違いを
見つけることを嫌がらない作業、その逆の作業、その他いろいろな事を
しっかり整理できていなければ、会話は違う方向に流れてしまい、
後で自分の不手際を反省しなければならないことになる。
会話はいつも即興なのだ。
即興は意外で素敵なひらめきや展開を連れてきてくれるけれど
大きな失敗と背中合わせなのだ。
これは音楽のセッションでも同じである。
失敗を次の作品で補う作業は大変難しい。
絵を一枚postするのも心しなければないけないと思う。
ヴァーチャルであっても相手をしていただいているのは
人の心である事を常に心に置き、引き続き気をつけようと反省する。

1.2.thu.
今日は久々に『暑いなあ。』と思った。
お昼は多分25℃はあったと思う。動いていたら暑くなるのだ。
そうだ、今年はまだおみくじを引きにいっていない。
おみくじについてくる金色の小さな七福神がいつも楽しみである。
今財布に5、6人入っている。今年は誰が当るかなあ。

2003.1.1.wed.
あけましておめでとうございます。

四方の春路地はしいんとめでたかり 玉簾


今年はとにかく平和であれば心から神様に感謝する事にします。

思っている。
ほんとうに。
平和であって欲しい選択範囲は地球全体。