2004.6月 |
7/30
今日、黒鯛の頭を8個使って兜煮を作っていた時、
鍋に入れた落とし蓋が、鍋のサイズにぴったりすぎて
外れなくなってしまった。
最終的に、男2人、女4人で鍋を押さえ、
ドライバー、モンキースパナ、アイスピック、フォークなどを使い
蓋をこじ開けようとしたが、失敗。
台所では、大工系の音が響く。
結局、蓋を破ってこじ開ける事に成功した。
失敗したら、全員、魚の煮汁を思いっきりかぶるという
スリリングな状況であった。
きょうこちゃんは、みんなが鍋を押さえているところを
「写メール」していた。
写真を取られてみんなほのかに盛り上がる。
7/29
あやし気な人が多いところには
怪し気な者達が集まる。
あまり怪し気ではない人も
怪し気な雰囲気を出し始める。
集団心理って馬鹿にできない。
7/27
朝、きょう子ちゃんが手伝いに来てくれた。
朝ごはんをすすめると大変美味しそうに食べてくれた。
その後、のんちゃんが来た。
のんちゃんが、途中で「お腹が減って目眩がする。」と言うので
早いお昼御飯をあげたら美味しそうにどんどん食べた。
夕方、水撒きをしていたら、カメ(大)が出て来た。
おさしみをあげる。
カメの事を名古屋から来た6才と4才の兄弟に教えてあげたら
すごい盛り上がりを見せたので、ついでに蝉の抜け殻さがしゲームをする。
二人は蝉の抜け殻を大切そうに持っていたので、
Tシャツにつけてあげたらまた喜んだ。
平凡に良い感じの日だった。
7/26
最近、体調不良。
経営者代理業務は、あと少しで終わるけれど本当に疲れてしまった。
この半年間で、一応売り上げは持ち上げた。
基本的な責任は果たしたのでいいのだけれど私の生活がボロボロになった。
大体、帰宅するとなにもできない位疲れていて、食欲もなく、
そのまま、床(ゆか)や椅子で寝てしまい、早朝、だるい身体で起きるのだ。
この疲労はどれぐらいで回復するのだろう。
カメ(中)は今日も元気にしていた。
7/23
今日はお葬式の日。
朝、知り合いが亡くなったというメールが届く。
それと全く別で、私は、大切なものを亡くした事を知った。
今日はそういう日のようだ。
これから弔電を打つ。
夏消える星はみんなを連れて行く 玉簾
7/22
胴が水色でふわふわのオレンジ色の襟巻きをした丸いハチがいる。
とてもかわいい。
今日も油照り。
植物に肥料をあげた。
水撒きしていると、木陰で暑さを凌いでいるカメを見つけた。
カメと犬猫との大きく違うところは、カメは水をかけても逃げないところ。
犬や猫は、ホースで水をかけられるのを嫌って一目散に逃げる。
カメはと言うと甲羅がある為、水圧を上げたジェット系の水を
直接身体に受けても全く平気にしている。(そんなに強くはしていないけど)
カメに集中的に水をかけて観察した。
カメの視野の高さは、地上5〜10cm位なので、私が水をかけていることを知らない。
どんどんかけると、カメの周りは3cm位の深さの水たまりになった。
カメは水たまりに顔をつっこんでごくごく飲んだ。
私になかなか気づかないので「カメ、」と呼んでみると、少し気づいた様子で
きょろきょろしていたけれど、その事もすぐに忘れた様子。
足をカメの目の前に見せると、食べ物をくれる人が来たことに気づく。
私の顔や手ではなくて、足の方が、カメにとっては印象的なようだ。
視界5〜10cmの180°だもんなあ。
おさしみをあげようと手を出すと驚いてダッシュで逃げる。
「ちがうよ、食べ物はこっちだよ。」と甲羅を持って食べ物のところに
カメを置こうとしたら、持たれて意に反した移動をさせられたカメは
「しゅぅ!」と怒った息を出して威嚇。
なのに私が歩くと、また足を見てダッシュでついてきて何かもらおうとするのだ。
なんて言うか、何考えてるんだ?カメって。
わたくしのくるぶしあたり亀の夏 玉簾
7/21
白粉花のかおりは、昔文房具屋さんにあった香水消しゴムに似ている。
白粉花の色は、駄菓子屋さんの硝子ケースの中にあったシャボン玉の入れ物の色。
私の一番古い記憶は、四歳頃から始まる。そのころ、私は名古屋市内に住んでいた。
お隣には、アメリカ人の宣教師の女の人が2人住んでいた。
ブロンドで青い目をした巨大な女の人は、天井に頭がつきそうで
何を話しているのかよく解らなかったけれど良い人達だった。
彼女達は、よく床に寝そべってラジオを聞いていた。
何だか、お母さんとは、様子がとても違う人達だと思った。
路地一つ隔てたアパートの二階には「みずしょうばい」のお姉さん達が3〜4人住んでいた。
私は、「みずしょうばい」がどんな仕事かわからなかった。
お姉さん達は、いつもお昼寝をしていて、夕方になると髪を結いはじめ、
お化粧をしたり、爪を塗ったり、着物に着替えたりする。
お祭りの用意をしているような独特の雰囲気が魅力的に思えた。
私と姉は、時々そこに遊びに言って、爪の一つに色をつけてもらったり、
鼻筋にそって白粉を引いてもらったりした。
「ほうら、べっぴんさんになったよ。」
鏡を覗くと、いつもと違う私が映っていて不思議な気分になった。
でも母はあんまりそこに行ったらダメだと言う。
「なんで?みんな優しくていい人だよ。」と姉と二人で言っても
とにかくあんまり行ってはダメだと言う。
週に一度ロバのパン屋さんも来た。
あの歌が聞こえたら、外に飛び出して見に行く。
私には、ロバも巨大に見えた。
雨の日は、鋪装されていない泥の道にロバの足跡が残った。
ロバのパン屋さんの硝子ケースの中には、よくハエが入っていたので、
母は不衛生だからという理由で買ってくれなかった。
あの頃、近所にはいろいろな人達が住んでいた
白粉花の香りはその時のお姉さんたちの香りの記憶だ。
白粉花を見ると、わたしの一番古い記憶がやってくる。
泥撥ねてロバのパン屋が消える路地 玉簾
7/20
この半年、休みなしで本業以外の仕事をし続けたが、あと十日で終わりだ。
どこにも遊びに行っていないけれど仕事場の庭が広く緑が多いことに救われていた。
でもそこの庭木達は、長年手入れをされていなかったので、伸びっぱなしで
いつも栄養不足で、乾いた表情のまま生えていて辛そうなのだ。
私は、この仕事を始めるにあたって、まず植物達と仲良くなろうと思って
お互いを邪魔しあって窮屈そうな庭木を剪定して、光が沢山入る庭に作り替えた。
毎日、水を切らさずに撒く。そのせいで、庭にあるすべての植物の健康状態を把握した。
今日は、虎の尾が花をつけているのをみつけた。
クロトンと同じような形の花で、かおりは、黄緑色の印象。
かいだことがない、変わった香りがした。
7/19
夜、夜来香(イエライシャン)が馨って夢見心地になる。
夜が更けて来る頃、潮が混ざった空気に歌うように絡みついて
肺の中へと忍び込み、夜の記憶の中に住み着くかおり。
その妖婉さからは想像できない程、華奢で、小さく控えめな形の白い花。
一晩中、馨り続けた花は、朝になると全部土の上に落ちてしまう。
姿のない花のよう。
寝息から夜来香が滑り込む 玉簾
7/18
-今朝の夢-
私は、カメ三匹(大中小)を一匹ずつ透明ビニール袋に小分けして
鞄に入れて歩いている。誰かに会うと「ほら、これ、カメですよ。」
と言ってビニールから出して見せるのだ。
若い女の子はみんな「きゃー、カーワイーーー」と言って、
カメの顔の前に人さし指を出したり、頭をつんつんつつこうとする。
私が心配していた通り、カメは人の指を噛む。
そのあと私も噛まれた。でも夢なので痛くない。
例えば、これが銃で撃たれても痛くなくて、死ななければ、
「さてはこれは夢だな。しめしめ、じゃあ空を飛んじゃおう。」
と思い、助走しながら離陸、その後平泳ぎで高度15m程の高さで飛ぶのだが、
今日は、あいにく夢だと気づかなかった。
(夢を見ている最中にそれが夢なんだと気づけるのは、
ちょっと凄いらしいのだが、それがどう凄いのか忘れてしまった)
とにかく、カメがあんまりみんなに迷惑をかけるのでカメを鞄にしまった。
「やっぱりカメのなつき方は、餌に寄ってくるのが限界なんだなあ。」
と思って目がさめる。庭のカメは夢の中まで登場するようになった。
そこまでカメの事が好きなわけでもないのになあ。
でも生き物の飼い方としては、庭に放し飼いで、
ほおっておいても、庭に何かその動物向きの食べものがあり、
たまに出合うと餌をあげて親睦をはかるという関係は理想的だ。
私は、普段カメ達がどこにいるのか知らなくて、
何か欲しくなるとカメの方からに会いに来る。
あいにこいすべてはカメの胃のままに たますだれ
7/17
新しいケイタイの着信音「アンビエント」というのが良かったので
それにしてみた。
水音と、リヴァーヴがかかったピアノ音、そして、女の人が何か呟いている
静かなおしゃれ系の音なのだが、アンビエントすぎてぜんぜん聞こえない。
こんなの図書館職員向きだよ、しかしまさしくアンビエントだ。。。
と呆れながら次はもっと聞こえやすいのをと、アースw&f.の
「September」にしてみた。これは、いちいちうるさくて不快。
結局、昔の電話のベル音に落ち着く。
昔のベル音で思い出した。近所のリアルアンティーク・ミュージアムと呼んでいる
鍛冶屋さんの玄関横についているボタン式のブザーを鳴らすと
「びぃぃぃぃーーーーーーーー。」とすごいびりびり音がするのだ。
一度訪問した時に押して驚いて笑った事がある。
こんど押せるのはいつだろう、密かに楽しみにしている。
7/16
2階のペンキ塗りをした時、ケイタイを外に置いたまま忘れてしまい、
雨がかかって壊れる。
新しいケイタイにした。また使い方をおぼえなきゃならならい。
あのマニュアルの分厚いこと。
7/15
ちょっとづつ二階の真新しいガラス窓枠にペーパーをかけて
古い建て具のような風合いにしている。
7/14
朝、カメ(小)がアセロラを食べていた。
熟れて落ちた実だからさぞ甘くて美味しいだろう。
仕事場に70代のおばさんが2人いて、カメを可愛がっている。
彼女達はどちらも畜産をしている。
畜産といっても小規模で牛の数は15頭程だそうだ。
二人に共通している事は、生き物に優しい事だ。
魚にでも虫にでも植物にでも。
そして人間の子供を見るように生き物の表情をつぶさに読み取り
可愛がるところがとても素敵だ。
片方の人は馬も飼っている。
生き物の事を聞くといろいろ教えてくれる。
7/13
知り合いの「Nちゃん」は可愛くてギャグセンスが抜群なのだ。
彼女の切れのある落ちは、私のハードな生活の疲れを
忘れさせてくれる。一回思いっきり笑うだけで、
疲れの30%くらいは飛んでいくように思う。
笑うというのはいい事だよ。
聞くところによれば、彼女はいろんなお笑い芸人さんと友達らしいのだが
何と「江頭2:50」とも知り合いなのだそうだ。
江頭さんは、まだ真面目で良い人なのだそうだ。へぇーーー。
7/12
DIYセンターの園芸コーナーで「サワフジ(サガリバナ)」を見つける。
サガリバナは今では幻の花になってしまった植物なのだ、
少し高かったけれど迷わずに購入。
どこに植えようか。良い環境を作ってあげて
秋になったら鉢から地面に下ろそう。
あの繊細な花が咲く所が見たい。
大好きな植物を家に連れて帰るとき
鉢を抱くと胸の辺りが温かく幸せになる。
サワフジを抱く犬の子を抱くやうに 玉簾
7/10
暑いけれど風はさわやかでとても美しい天気が続いている。
庭で水を撒いていると、蝶やトンボが水を飲みに来たり、
メジロが水浴びをしようと寄ってくるのが可愛い。
みんな暑いんだよね。
生き物観察は楽しい。
水撒きの蝶々は虹を吸ひに来る 玉簾
7/8
空蝉
庭のいたるところに、リュウキュウクマゼミの殻がある。
地面には、その数だけ彼等が出て来た穴もある。
出て来て5cmのところで羽化するセミもいるが、高い高いところまで
登っていくセミもいる。今年人気の脱皮場所はヘゴヤシの葉の裏側だった。
いろんなところで脱皮しているので、一つ一つ写真に撮っておきたい。
みんな表情がちがうのが面白い。
空蝉の手足に残る力かな 玉簾
7/7
七夕
そっちのけで仕事。
4〜7足の草蛙を履き替え、一日を突っ走る。
本当は、今は、大工と庭師の草蛙だけで良いのに、
人間関係のトラブルのジャッジメントや軌道修正などの
複雑極まりない仕事が三件も重なり、私は元気がなくなる。
そもそも、私は人をジャッジする程の人間ではないのに
この年齢と立場上、少しは関わらなければならないのだ。
そして、渦中に何かをジャッジするような
しっかりした物差しを持っている人が、だあーーーれも居ない場合には
私は仕方なく、私のさぼりたい願望がつよい物差しに喝を入れて
磨きなおし、問題を収束すべくがんばる。
がんばりたくないけど仕方ないのでがんばる。
7/6
いつもあまり歩かない時間に
いつもあまり通らない路地を歩いたら
小さな作業場を見つけた。
壁には、几帳面にノコギリ、カンナ大中小、木槌、その他
工具がいい具合にかけられていて
それだけですっかり気に入ってしまった。
中では70才位のおじさんがディスク・グラインダーに
目の粗いサンダーをつけて古いお仏壇をリペアしていた。
「ここ、なんて言うお店ですか?」
「“さしものや”さー。」
「さしものと言うと釘を使わない家具や建具のことですよね。」
「そうそう。あんた、こんなの好きか?」
「ええ、大好きですよ、自分で作ったりもしますよ。
それにしてもこんなお店があるなんて知りませんでした。」
店の中の道具入れになっているタンスも古くて昔の金具が美しい。
ああ、でも去年の今頃、私は、今、おじさんが手に持っているその、
『ディスク・グラインダー』で右手の人差し指を落としかけたのだ。
丸くて、回転が速くて切れ味の良いものはこわいよぅ。
パンを切ってもらう時も、あの機械を見ているだけで
こわくてクラクラしてしまう。
右手の人さし指の傷は、もう判らなくなった。
きれいに完治している。
7/5
硝子屋さんに行って、ガラスをカットしてもらう。
職人さんの作業を見るのが好きだ。
いろいろな機械や道具が置いてある作業場も良い。
硝子屋さんは、ガラスの切れ端をさっさと持って
“ポイ”とゴミ入れに捨てるのだが、
素手だし、切りそうだし、もうもう怖くて見ていられない。
「あーー、そんな風に速い動きでガラス持っちゃだめええ!!!」
と思わず言ってしまう。硝子屋さんって危ない仕事だ。
大量の硝子を見て、割れた事をシミュレイトしてしまい
大変怖くなってきてしまう。
私も試しに切らせてもらった。
ダイヤ付きガラスカッターはすごい。
硝子切る人の目の底夏の水 玉簾
7/4
新しい窓枠を作ってもらう。三枚扉にして外が沢山見えるように
デザインした。はめ込むガラスは昔の建具から取ったアンティークな
柄物である。もう生産中止になってしまって手に入らない模様ガラスや
タイルが好きだ。
古い家を壊しているのを見ると『ガラスだけ欲しかったなあ。。。。』と
大変もったいなく思う。
古い建具はデザインがとても可愛い。
7/3
ガラス窓が割れたまま放置してあった自宅二階の洗面所の改装を
始める。いつもこの時期は家の改装をしているなあ。
六、七月は、大工仕事に精が出る月なのだろうか。
7/1
Hip-Hop好きの甥っ子に「季寄せ」と使っていないcanonの電子辞書を
送った。この間、連句を巻いている事を電話で話したら、
随分興味を示していたからである。
彼は江戸の下町っ子で、ラッパーなのた。
ラップも言葉あそびだからきっと季寄せは役に立つと思う。
彼は誰かのCDにも参加しているらしいのだが、
本人はそのCDを持っていないそうである。
彼の母親、つまり私の姉が買い占めて知り合いに配っているらしい。
私は甥っ子のラップをまだ聞いた事がない。
送った「季寄せ」の中表紙に
蛸壺はもしや瓢箪かもしれぬ 玉簾
と、解ったような解らないような句を書いた。
甥っ子は「スゲエ、コレカッコ良くない?」とか言うかな。
>>瓢箪から駒のように、うまく行く時といかない時とあって
うまく行く時はまさしく瓢箪から駒のように稀であるのだよ。
というように自解しても
やはり、解ったようなわからないような。